サクラ サクラ








そのさきの約束を また交わす








――――――――――――ふわりと、風が舞った




「どうかされましたか、十代目?」
「ああ、うん。報告の途中にごめんね、続けて」
「……はい、それでは」

引いたレースのカーテンが、細く開いた窓から忍び込んだ風に遊んだ。
頬を撫でるその暖かさに、ふと顔を上げた綱吉に、それまで最近まで揉めていたファミリーとの顛末を綴った報告書を読み上げていた獄寺が目ざとく認めて声を掛けた。
彼が真面目に書面を読み上げている時に、不謹慎だったと思いつつも、そんな事を口にすれば結局仕事の方がうやむやに消えるだろう事を察して、綱吉は先を促した。
体調が悪いとか、そういった事ではもちろんない。


ただ、頬を撫でる春の風に無性に………






「では、十代目この件は」
「うん、表立ってではないけど出来うる限りの支援はするつもりだよ。今回も民間人に被害は出してないといっても、向うの取引相手が痛手を被ったんだろう?」
「ボンゴレを敵に回したファミリーと懇意にしていた事実は消せませんから」
「見る目が無いとは思うけど。回り回って政府高官とも繋がってたみたいだし、そちらからお目こぼし嘆願とはね。まあ、あちらは今回ほんとに巻き込まれただけみたいだし、恩は売っといて損もないよね。適当に頼むよ」
「分かりました」
「多少のオイタはお仕置き程度で目をつぶってもいいけどね、ウチにまで薬持ち込むのは許さないよ。次があるようならその時は、容赦なしだ」

心得ましたと、頷いた後一礼して獄寺は退室した。
見送った後、革張りの椅子の背もたれに深く沈みこんで伸びをする。
刹那的だ。
どこぞの誰かのように、秩序を語るつもりなど毛頭ない。
一昔前ほど派手にやっているわけではないけれど、マフィアらしくそれなりに暴利と言えなくはないものを貪っていたりする。
百余年を超えてなお続く、ボンゴレの栄華。
歴代のボスたちが積み上げてきたそれを、盤石の基盤として今もなお最強を謳う。
嫌だ嫌だと、現実を否定して、受け止めることもせずに、ただ目を背けていた過去はもう遠い。
今、ここに座る自分は、決して誰かの傀儡などではない。あの家庭教師が横暴にもこの椅子に据えたわけでも、自分の何にそんなにもこだわるのか、先代や同盟ファミリーや信奉者に祭り上げられたわけでもない。



滅ぶも栄えるも好きにせよ。
偉大なるボンゴレ・プリーモの声は今もなお耳に残っている。
この王国を崩してやろうと、決意して座った筈なのに今もなおこの椅子を温めている。少しずつ蓄えたものを削ってはいるもおの、強固な王国は、今もなおその衰えを見せない。
一息にとどめを刺すような事をすれば、社会が機能を失う。ヨーロッパ経済は裏社会から均衡を崩すだろう。
このイタリアという国自体が、下手をしたら沈みかねない。
それほどに巨大な組織であると、日を重ねるごとに思い知るばかりだ。

そっと、手元の引出しに手を掛けて中から白い封筒を取り出した。ペーパーナイフを当てた紙は、少しの歪みもなく封が切られた後だった。
徐に口元に運ぶと、そっと息を吸う。


―――――――そこからは、春の香りがした







「もうすぐ、全てが息吹く季節が廻ってくるよ」

散りゆく淡紅の花弁が、なんともいえない哀愁を心に呼び覚ます。
薄く白い紗が掛かったような少しくすんだ、けれど穏やかな空へと巻き上げられる薄紅を見上げて目を細めて彼がつぶやいた言葉が、脳裏に響いた。
どこか儚く、けれど凛と強く、そして何ものにも屈しないしなやかさを併せ持った横顔を、ずっと見詰めていた。
やわらかく吹き込む風が、郷愁を呼び覚ます。

諦めたように、細い息を吐いて、そして綱吉は立ち上がった。














「良いお天気ですね」
「君の頭の中には負けるよ」

突然現れた人影にも驚きもせずに、雲雀は視線をくれただけで組んだ腕を枕に、寝そべった体制を崩そうとはしなかった。
周りには誰の気配もせず、ただ時折風に桜並木が踊るだけだ。
彼の隣に寄り添っていた黄色い鳥が、『ツナヨシ、ツナヨシッ』と鳴いて嬉しそうに寄ってくる。肩に止まって、頬に柔らかな身体を押し当てて歌い始める。その姿に、綱吉は笑みを深くした。
相変わらずだと言ってしまえばそれまでだが、そっけ無い恋人とは酷い違いだと思う。
例え、綱吉が持参した土産目当てだとしても。
パチパチとつぶらな瞳が催促するように見えて、途中で寄ったコンビニで調達したチクワの封を切った。どうせ、この小鳥用に買ったものだ。

「相変わらず、暇なようだね。ボンゴレは」
「はははは。ご冗談を、今回も港ヨーコさんにお手伝いいただきまして、デートの時間を捻出したまでですよ」
「君は僕の年齢をどうとかいつも言うけれど、君だって時々年代にそぐわないことを言うよね」

昭和歌謡のサビの歌詞を繰り返しはじめる綱吉。たぶん、全曲通しては知らないだろう事はよくわかった。
軍用機で横須賀に乗り付けるのが、通例となりつつある彼に呆れるように嘆息した。
誰もつけずに単独で日本に戻るときは大抵この方法を彼は取った。時間の短縮にも有効だし、身の安全も民間に紛れるよりも保障されている。アメリカだって、イタリアだって国をあげてボンゴレに喧嘩をうるような事はしたくないだろう。
プライベートで職権を使う事をあまりしない彼の例外がそこにある。
例外だけで十分権限使い過ぎだろう、と世間の常識を持ち合わせる彼の親友は笑うのだが。
ボンゴレの名のもとに動くときはチャーターするが、年に数回こういうことがある。


「寒くないですか。こういうの、花冷えって言うんですよね」
「良く覚えたね」

そりゃ、何回も教えてもらったらいくら俺だって覚えますよ。と苦笑する。
薄い蒼と、紅色に彩られた陽気。けれど、時折吹く風は冷たい。花の開花状況をみると、ここ数日は暖かかったようだがこの季節はまだ、気温が安定しきらない。
そう言っているうちに、すぐに茹だる様な暑さがやってくるのだ。
寝そべる雲雀の横に腰をおろした。
その様子を横目に、雲雀はどこか満足そうに眼を閉じた。髪に花弁でも落ちていたのだろう、彼の指が何かを払う様な仕草をしたようだが気にも留めない。
暫く会話もなく、ただ目の前に広がる色づいた薄雲のような光景に見入った。
並木の中でも取り分け大きな木の下。そこは少し小高く、なだらかな傾斜を描いていて、丁度瞳の高さに遠く広がる光景は、今年も変わらない。

「ほんとうに、この季節だけですよね。あとは誰も見向きもしないのに」

何百本と植えられた同じ種の木々。
花の盛りはほんの一瞬。この一瞬のために、手を掛け大切に大切に育てる。虫もつけば、あまり長生きする木でもない、ついでに実もつかない。合理性はない。
今日これほど美しくとも、明日にはその保証がない。新芽の息吹始めた目に鮮やかな緑、けれどもその色に薄紅一色の花弁が喚起する哀愁が薄らいでゆく。
花を落として葉を付けるものよりも、新緑とともに花を結ぶ木の方が好きですと、そう言ったのは随分前の様な気がする。
君が情緒を語るとはねと面白そうに笑った雲雀を、覚えている。

「君もあの国になかなか染まらないね」

ふふっと空気が震える。この国に根源をもたねば、独自の文化に根を張ったこういった感傷を解せない。
艶やかさを纏わない笑みは、年齢よりも幾分か幼く見せる。
彼の機嫌は良い。
その様子に安堵した。花は盛り、今が一番綺麗な時だ。
去年は地面に敷き詰められた花弁のなか、不機嫌そうに迎えた雲雀。
届いた白い封筒に、数枚の花弁だけが入れられた手紙とも呼べないものが届くようになって数年。
言葉は何もくれないのに、いつもいつも綱吉の心を揺さぶる事だけは、こんな恥ずかしい手法でもって、てらいもなくやってのける。

「ねえ、ヒバリさん。いつか、この花の木も見せてくださいね」

微かに、ほんの微かに雲雀が動揺した。気づいていないとでも、思っていたのだろうか。今ここで、雲雀の髪から拾い上げた花弁よりも繊細なそれをもう何年贈られ続けているというのか。
手入れの行きとどいた雲雀の屋敷の広大な庭、甘い香りを放つ梅は何度か目にした。けれど、この時期自分は、いつもさびしげに佇む巨木を目にしたことが無かった。
さぞ美しく、艶やかに咲き誇るのだろうそれを、まだ見たことがない。
白い封筒を大事にジャケットにしまいながら、綱吉は微笑んだ。

「………いずれ、ね」
「はい。必ず―――――――ッ」


強い風が一陣。
一斉に身を揺らす枝から、淡い花が躍る。
幻想世界に吹雪く雪のようでいて、どこか哀愁とメランコリックな感情を呼び込んでくる光景だ。



嗚呼……今、己は淋しいのだ


唐突に閃いたように浮き上がった感情に名前を付ける。
くるくると舞いながら落ちてゆくその様の、なんと刹那的でこの上もないほどに美しいことか。
そっと、白い指が頬に掛かり、髪を撫で、そしてさしたる力も込めずに引き寄せられる。
抵抗する事無く、蹲る様に横たわったままの雲雀の胸に頬を寄せた。
暖かく、規則的に脈打つ生命の音を聞きながらそっと目を閉じた。







けれど、新芽は息吹きまた季節は巡る。
同じ花は一つとして咲かないけれど、世界は巡っている。
舞い上がった花が、青くくすんだ空へと舞い上がった。淡く色づいているはずの花は、白にとけて消えてゆく。
美しくも儚い世界の中で、現実に繋ぎとめられている確かな今を心に刻む。





いつか。

たおやかに陽の光に透けて綻ぶ花を
あでやかに月の光を反して散る花を




二人で寄り添って、繰り返し幾度も幾度も、次の年の約束をしたい。








港のよーこよーこはまよこすかー