『 Re: 』  to・・・



「今度はどこへ出張ですか?」
「もうこのまま日本に帰るよ」
「そうですか…」

二人そろって午後のミラノを歩く。
雲雀はいつも突然にやってくる。
そして帰ってゆくのも同じ。
商業都市とはいっても、さすがにダークスーツは目立つため私服に着替えて二人で食事に出た。
ランチは屋敷の外で、二人だけでとるのは、雲雀が綱吉のもとに訪れるときは珍しいことではない。
長期に滞在することもあるが、基本的にあまり長くイタリアにはいない。
彼はボンゴレ幹部であると同時に風紀財団のトップ。財団の運営にも、研究活動にも忙しい。
仲間内からは冷たいと散々言われはするものの、しかしそんな必死のスケジュール管理をしている草壁や、全てお見通しのご隠居たちからみれば可愛いものだと頬が崩れるらしい。
ここが嫌いだからというわけではない、本当は忙しいスケジュールを縫って綱吉の元を訪れているからだ。


珍しく少し歩こうと誘ったのは雲雀だった。勿論、驚きはしたものの綱吉に否はない、むしろ嬉しい。
こうやって二人並んで歩くことがどれほどあるだろう。
歩調歩幅をあわせて歩くことが、どれほどあるだろう?
これほど人目を引く容姿をしているのに、そんな場所では雲雀は自己主張をしない。自然に街の雑踏に溶けてゆく。
昔のように群れを見たら即かみ殺すことも、なくなった。…嫌いなのは変わりないが。
荒削りの刃を振りかざし頂点に君臨していたあの頃とかわって、研ぎ澄まされた冷たく輝く刃は驚くほど巧妙に常は隠される。
綱吉も同様に。
そもそも人畜無害な小市民であったはずなのに、いつの間にかこの街の、この国の夜の王様になってしまった。
本拠地であるシチリアではなく経済の中心であるミラノの別邸にいる綱吉の下に顔を出した雲雀に、少し目を見張った後やはり綱吉は花が綻ぶような笑みを浮かべ出迎えた。
デスクの上を見やれば、ファイルの山も書類の束もほとんど片付いていて、イタリア入国時かいっそ先の飛行機の搭乗手続きの時にすでにこちらに情報は入っていたらしい。
でなければ彼のデスクが片付いているはずがない。
本人にまで、連絡がいっていたかはともかくとして。

ボンゴレのボスの座についたということは、ボンゴレを母体とする企業の総帥をも引き継いだと言うことになる。
結果、綱吉は絶賛いくつもの草鞋を履き替えて毎日馬車馬のように働いているのだった。
本拠地であるシチリアには勿論定期的にかえっているが、政治経済金融の中心たる都市に多く居ることになったのは、必然だ。
引継ぎからまだ数年、若造と古だぬきたちに侮られぬよう必死にな時期もあったが、今はどうにか落ち着き始めた。
そんな中、お目付け役から午前中にこれだけ捌ければ、午後から明日まで休暇をやると言われた時には喜んで処理をしたが、いざ休暇となるとどうしようかと悩んでいた矢先だった。
雲雀の訪問を内線が告げたのは。
とっさに、邪魔だからと投げ捨てていた上着を拾って内ポケットを探ると携帯を取り出す。
二つ折りのそれを開いて見ると、着信が1件。
メールボックスから、専用フォルダーを呼び出して未読メールを開く。

差出人は彼。
件名は『Re:』
本文は、白紙。





「―――っあだ!っちょっ!!?」
「あ。ごめん、足長いものだから」

先ほどのパスタとピッツァは美味かったがアペタイザーがいまいちでドレッシングのオリーブオイルも少し古かった気がするなど、他愛のない話をぽつりぽつりとしながら歩いていた綱吉を見舞った不幸。
いきなり足ががくりとくずおれて、そのまま重力に引っ張られるまま地面に激突。ビタン
いくつになっても君は変わらないね、どんくさいところもそのままで、と足を引っ掛けた本人はしれっとした顔で綱吉の傍らに立っている。
手を貸して助け起こす、という気もないらしい。
イタリアに来て、世界の各地を時折訪れるようになって、気づいたことがある。
万国共通にそれなりに発展した国の主要都市のメインストリートというのは、まあほぼ全ての時間帯にそれなりの人の往来があり店が軒を連ね、喧騒があるということである。
国が変わろうと、人種が変わろうと、それは何もかわらない。
真昼間の有名ブランドが軒を並べる明るい開けた歩道の真ん中で、いい年をした男が派手に転べば人目を引く。
あからさまな視線をくれてくる人間は居ないにしても、そこかしこで失笑を買っている。

まあ。そこは、被害妄想といえなくもないけれど。

平たく言えば恥ずかしいということだ。
ほんとうに。
恋人との、所謂デート中にこんな仕打ち。
きっとこんなことをしでかすのは雲雀ぐらいだ。

なんで、俺こんな人好きなのかな…………。





「君が悪い」
「納得いきません」

濡らした白いハンカチで、ためらいもなく擦りむいて血のにじんだ綱吉の手をぬぐう。滲んだ朱色がハンカチに染み込んでゆく。
ああ、もったいないな。血、落ちずらいんですから、それもう使えませんよ。と言うと、くすりと笑われた。
傷といっても擦り傷程度で、すぐに治ってしまうようなものだ。
しかし、それにしたってひどいではないか。

「あなたはずるいですよ…」

よろりと立ち上がった綱吉の手をとって広場の噴水の影の石段に座らせると、近くで売っていたジェラートを綱吉に買い与え、一応のご機嫌取りをした後、雲雀は血のにじんだその手を目ざとくみつけたのだ。
コーンの上にもったりと乗っているジェラートを口に含んでむくれてみる。
あなたには分けてあげません!と宣言すると君は子供なの?と呆れられたが、お互い様だ。
地元の人間も、観光客も多い広場の店は露店でも味はすこぶるよかった。濃厚なチョコレートの甘みに満足しながら、一息つくと雲雀へ視線をやるとどこからか取り出した絆創膏を、綱吉の手に貼り付けていた。


「君はね、とろくてどんくさくて基本ダメな子でしょう?」
「そんな偉そうに貶められると逆にほめられてる気持ちになります。あれ、おかしいな」
「褒めてるとも」
「ごめんなさい。おっしゃりたいことが分かりません」

貼り付けた絆創膏の粘着部分を上から抑える雲雀の手にまた少し力が困った。
出来の悪い子を見る目に同情が混じる。
あれ、おかしいな。俺なにか悪いことしたかな?と疑問に思う間に背骨を沿うように滑った雲雀の指。
もちろんセクシャルな雰囲気など、無い。


「のおおぅ」

なんともいえぬ感覚に海老反りに反らした後、背を丸める綱吉をおもしろそうに雲雀は見ている。
今日はいつにもましていじめっ子である。

「言ってるじゃない。君は基本ダメな子なんだから、もう少し力抜きなよ」
「あ…」

どうにかまだ残っているジェラートだけは死守して、次何が来るとも分からぬこの状況に、少しでもと意地汚く舌で溶けた部分から舐めている綱吉に、今度こそ雲雀は失笑した。
背にあった手は、今は綱吉の頭の上に乗っていて、やわらかい髪を梳いていた。


「俺、そんなに肩肘張ってますか?」
「別に生き急いでるとまでは言わないけど、必死すぎるね」

綱吉には雲雀は、まだよく分からない。
示される優しさが、とても難解だと思う。
それでも、自分に向けられる感情の答えを考えるのはとても楽しい。それは確かに愛情からくるものだと分かっているから。冷めてしまっていたら、きっと彼はどんな感情もそんな相手には示さない。
リボーン辺りからなら、たぶんきっと全て彼の意図を読みきることが出来るのだろうけれど、綱吉にはまだそんなスキルは無い。
でも、それでいい。
まだまだほんの数年、であって二桁も年月を重ねていないのにそんな風に達観していなくてもいい。
少し不安なほうが、きっといい。

今日の休暇も、きっと彼の意図もあったのだろうと思う。
普段、あまり傍にいない雲雀ですらそう感じているのに、近くにいるリボーンが気づいていないとは思わない。
隠したかったのだけれど。
と思う。

「必死にもなりますよ。だって、誰にも甘えたくない」

ため息をついて空を仰ぐと、青い青い抜けるようなイタリアの空がある。
知っていると、雲雀は瞳を閉じると綱吉の傍らに腰を下ろした。

「だったら、もっとうまくやりな」

ぽすぽすと頭を撫でる手が離れてゆく。
がんばらなくていい、とは言わない。
誰かを頼れとも言わない、これは綱吉の戦い。
父である門外顧問や先代をもっと頼れば、もう少し楽になるのだろうけれどそうしたくなかった。
そんなことをしたら、彼らの影からいつまでたっても抜け出せない。
やりたいことも、やれない。
もっと周りを頼れと、そう言われた事がある。
信頼していないわけじゃない、けれどそれではいけない事の方がおおいのだ。
ボスとして上に立つなら、ボスとして綱吉を彼らが望むのなら、綱吉が独りで越えていかなくてはいけない事のほうが、ずっと多い。
雲雀は、そういう部分に踏み込んでこない。
興味が無いのではなく、尊重にちかい無関心。ほんとうに苦しいときに隣に座っていてくれるから、それだけで堪らなくこの人が好きだと思う。



「どうしてでしょう?俺はこんなにもどこまでいっても同じ人間なのに、時折2人居るんじゃないかと思うときがある」

公であったはずのボンゴレボスとしての彼と、私である沢田綱吉の境界線が時折分からなくなる。
ボンゴレの10代目という、一人歩きをはじめた自分に引きずられそうになる。
自分は確かにここに居るのに、別の誰かの口から出る言葉がどうしても自分に向けられているように思えない。
その賛辞の声にこたえるために、その讃えられた人間になるために、必死に背を伸ばす。

「馬鹿だと思いますか?」
「馬鹿だね。眉目秀麗才色兼備、秀麗な若きボンゴレ。幻想じゃないか」

正直に一言で切って捨てる雲雀に笑みがこぼれた。苦笑に近い

「けれど、君はそれを守りたいんだろう?」
「……はい」


クスッ――
雲雀が笑ったのが、わかった。
その時唐突に思った。
たぶん、綱吉も同じように雲雀に多くを求めた

――――強く 美しく そして 自由であること


ふと、落ちた影に驚きはしなかった。
自然に近づく顔に、当たり前のように瞳を伏せる。
まだ少し冷たい舌は、きっと甘いだろう、ああ絶対に分けてやるものかと思っていたのに、きっとこの口付けは甘いチョコレートの味がするのだろう。



だったら、もっと完璧な仮面を被れと、雲雀は言った。
マフィアのボスであり企業グループの会長であり、社交界の花形と淑女たちの垂涎の華であれ。
毒をもって棘を隠し持って何ものからも己を守りぬけと。
それを剥がしに、叩き割りに君の元に戻るのはとても気分がいいから

そのために、君の望む僕になることに否など無いと


綱吉が目を見張るほどに美しく微笑んだ。






イタリアの青い空を背にして――――。



実は雲雀の方がずっと、綱吉にいいところだけを見せたくて一生懸命な話。