銃口突きつけられながら勉強すれば人間なんでもできるもんだよ
「ねえ、あんた同棲相手とはどうなってんのよ?」
黒川花は唐突に、沢田綱吉に尋ねた。
「どうって、何?ああ、そうそう、同棲じゃないから。同居…ど、う、きょ。だから」
綱吉はそんな黒川の質問に対して天気の話でもするかのようにのほほんと応えた。
ただ、語尾の『どうきょ』という言葉は口調強く、一言一言切って。
その間も手は休めない。彼の手の中には、今まさに彼女から借りた講義のノートがあった。
それを1ページも残すことなくコピーを取ってゆく。彼らの在籍する大学ももう冬季試験へのカウントダウンが始まろうとしていた。
テスト、と言えば切羽詰まった響きなのだが、高校までのものとは違って、やりようによってはどうにでもなる科目がそれなりにあった。
こと、一般教養的なものなら人様のノートをコピーしてテストに持ち込んで…などといった、学生の本分はどこに行ったのだろうかと思われる荒業も大いに有効である。
そんなわけで沢田綱吉は黒川花のノートを鋭意コピー中なのである。
因みに、この二人の仲が中学時代からとうとうと積もり積もってこうなったかというと実は違う。
それはもちろん、彼女の親友である笹川京子の兄が、沢田綱吉と何かしらの繋がりをもってしまったがために、完全にぷつんと切れることはなかった。少なくとも彼女は高校時代も沢田綱吉の話を彼の親友から幾度か聞いていた。
もとクラスメイトといっても中学を卒業してその後、進路の別れた、しかも異性に対する認識なんてものはその程度あれば十分だろうと思われる。
同性の友人だって携帯番号、メールアドレスを交換していたとしても気が付いていたら切れていた、なんてことはよくある話だ。
まったくちっともどこで何をしているのか、生きてるのかすらよく知らない者の方がそれはもう圧倒的に多い。
彼女、黒川花の沢田綱吉に対するものもそんな感じで、時折親友の話に出てくる名前に、「ああアイツも一応元気に生きてるのね」程度だった。
いずれ、ゆるやかに懐かしい思い出になるであろう同級生が唐突に目の前に現れたのは今年の春だった。
桜舞い散る…いや、その季節には少し遅かった。散ったあとのキャンパスを歩く。
彼女はピカピカの一年生だった。
昨年、受かっていた滑り止めを蹴って、親に頼み込んで一浪してまで入った大学である。いくら桜が散っていようが、もう花びらなど見る影もなかろうが心は躍っていた。
一応難関大と言われている学校だ。偏差値だってけっこう高い。
気楽な浪人生活といっても、予備校通いだって周りよりよほど熱心にやった。バイトだってもちろん入れた。
高校在学中よりも休みなどあってないようなものだった。
しかし、これから花の女子大生生活が待っているのである。
退屈な入学式を終えてキャンパスを歩いていたその時、うっかりと出会ってしまった。
そいつは自動販売機の後ろに座り込んでダレテいた。
死んだ魚の眼をして、コーラのペットボトルを片手に空を見上げて。サークルの勧誘か何かだろうか、ピンク色のふっくらふんわり気ぐるみを着たそいつは、先ほどまでかぶっていたであろうでかいウサギの頭を横に転がして、それはそれは疲れ切った顔をしていた。
目が合ってしまった自分を呪ったが、その顔に見覚えがあった。
「…………沢田綱吉?」
「……あ、黒川…?」
久し振り、元気だった?
世間一般で交わされるであろう、久方ぶりに会った元クラスメイトとの会話はそんなものだろう。
けれど、彼は言った。
「これ、開けて」
死んだ魚の目をして片手に持ったペットボトルを差し出してきた。
もっさりとした、かわいいとも言えなくはない、ピンクのウサギの手では開封できなかったコーラはもうすでに温かった。
「あー、ごめんごめん。久しぶり」
中学卒業以来かと言われるとそうでもないのだが、記憶にある彼よりも身長が伸び、顔のラインから柔らかさが幾分か抜けた元同級生を黒川花は軽く息を吐きながら見やった。
こんな再会も人生にはあるのだ。
いや、だからと言ってドラマチックに何らかのストーリーが自分たち二人に展開することは全くない。
ありえない。
コーラを一口含んだ後、その温度に顔をしかめたものの一気にボトルの三分の一ほど炭酸を喉に流し込み、身悶えた後一息ついた沢田綱吉はへらりと笑う。
外見だけを取るならなかなか見目麗しく成長したといえる。彼女の好みではないが、モテ期が到来していよう事が予想できた。…ダメツナのくせに生意気な。
中性的な容姿と雰囲気はそのままに、子供から青年になったとでも形容すべきだろう。少しの違和感は、虐められっ子だった頃に染み付いていたおどおどしたところが消えたからだろう。
人間、世界を拓けば変わるものなのだ。
しかし、流れた年月に哀愁も窺わせた。
ぷっはー生き返る、などとコーラ片手にしみじみと言う辺りが悲しい。
そうか、こうやって男子はおっさんになってゆくのだ。
否。他人事だと笑うつもりはない、彼とは同い年。おっさんにはならなくとも、オバサンという進化が自分に待ち受けている事くらい現実を見つめる彼女は理解している。
アンチエイジング。
諸行無常なこの世の侘しさにも女は敗北を認めてはいけないのだと思う。
「あ。新入生だよね?入学式終わった?」
徒然とどうでもいいような事(…ちょっと目の前の相手には失礼な事)まで考えていた意識を呼び戻した。
「そうよ。で、あんたはこんなとこでそんな格好して何やってんのよ?」
「サールクの勧誘で日銭稼ぎ。これ着て女の子勧誘して来いってさ〜。かわいい格好してけば効率いいんだってさ…ばかだよなー」
半ば予想はしていた答えに笑う。このダメっ子に馬鹿と言われるとは…。
「まだ勧誘も何もしてないくせになんでそんなへばってんのよ?」
「今日暑くてさ…いや、サークルの勧誘手伝えとは言われたけどこんなの着せられると思ってなくて、今日結構着込んできたんだよ」
Tシャツだけにしとけばよかったとぼやきながら、たいして風など送れないくせにパタパタと手を動かす仕草をする綱吉を見やる。
ふと、至極当然の疑問が浮かんできた。
――――こいつは、なぜにココにいる?
「ねえ、ちょっとあんた……」
「うん。何?」
――――――――――ミードリタナービクーナミモーリーノォ…
「すごい着信音ね」
「カワイイダロ。鳥が歌ってんだぜ」
出鼻を挫かれた。
何やら聞き覚えのあるメロディーだが、全体的に半音外れている。トリ、とりって何だ?
音が籠って聞こえるのは、それが綱吉が着ている着ぐるみの下から聞えてくるからである。
モソモソと胸元を探っている、まだ探っている。そして着信音はまだ止まない。
「…取れない」
「なんでそんな絶望的な顔してんのよ」
世話が焼けるわね。
そう言いながら、彼の首からネックストラップを引っ張るとシルバーの携帯が引きずり出された。
ピカピカとまだ着信のランプが点滅して、よりクリアになった着信音がはやく出ろと急かすようだ。彼はごめん、と断ってから通話ボタンを押して耳に当てる。
「もしもし…。すいません、今日は頼まれてたサークルの勧誘の手伝いですよ。…え?あんたがいきなり国外逃亡かますから予定空いたせいじゃないですかっ!?なんです、爺さんに呼び出された?知りませんよ、俺よりジー様取ったくせにそんな文句聞きません!!」
(――――…へー……)
彼女の名誉のために言っておく。黒川には盗み聞きするような趣味はない。
聞えてしまったものは仕方がないだろう。
これが痴話喧嘩というものだろうか?
「は?そうですよ、コスプレですよ!!俺しかサイズ合わなかったんですよバカヤロー。胸の触り心地なんて超イイッですよちくしょーーー―!!!――じゃ、忙しいのでまた」
(あの、ダメツナが、ねえ…)
本日何度目かのダメツナを心の中で連呼しながら事の次第を見守っていると、もこもこの手で器用に携帯のボタンを操作して一方的に通話を終わらせた。
「コスプレねえ」
「別にセーラー服だとかナースだとかメイドだとか一言だって言ってない。それに、この胸の毛のもっさりとした触り心地の良さ…嘘はいってない」
こんもりとそこだけ白のやわらかい毛が盛り上がる胸を撫でつけながら彼は言う。
確かに嘘ではない、嘘ではないが…。
想像力が豊かだったら敗北してしまう言い回しだ。しかし、きぐるみなどといったものはフリーサイズではなかったのか?
………いや、何も言いたくない。
「…………で?」
「?」
ぷりぷりしている綱吉をよそに、黒川は何かあったのだろうがあえて触れずに、小首をかしげて小指をチラつかせてみる。
女子大生がする仕草にしては大層品もなければ下世話である。
問いたい事を察した綱吉は暫し考え込む考えた後、グッと親指を立てた。
その後、「ごめん、そろそろ真面目に仕事してくるわ。銭はともかく、代返の恩は返さないとね。ああ、1回生の教室向うね」と早口に言うと、転がしていた頭を掴んでどむどむと弾みながら駆けていった。
が、戻ってくる。
「ごめん、1枚写メって?」
――――嗚呼、できれば知りたくなかった…
黒川花。
本日よりピカピカの女子大生。華々しい初日に虚しさも噛みしめてしまった…
もう一度言う、一応、一応ここは名門のはずだ。
………どうやら彼は、先輩にあたるらしい
いろいろな意味で敗北感いっぱいだ。
「オリエンテーション、さぼろうかしら……」
幸か不幸かこのとき彼女は、走り去る彼が直前に見せたジェスチャーの真の意味はその時解らなかった。
「っとに。あんた後輩のノート必死にコピーってそれどうなのよ?」
「うるさいな。去年俺この講義取ってなかったの!英語と第二外国語手伝ったんだから文句言うなよ」
あれから年が明けて、あと数カ月で1年になってしまう。
広いキャンパスである、そうそう頻繁に会いはしないものの腐れ縁というものは切れない。時々顔を合わせては愚痴をこぼしたり、適当な馬鹿話をしあうような仲である。
その見た目もあって友人たちに紹介してくれと頼まれることも多々あることは確かだが、やんわりと上手く距離を取るところを見るとまだ上手くいっているのだろう。
「そうそう。で、合コンやるからあんた誘って来いって言われたんだけど?」
そして冒頭に掛かってくるのだ。
一応、付き合っている彼女がいる人間に対してバンバン合コンの誘いも流石にどうかと思ったのだ。
「んー?悪いけど、実は試験明けたらすぐにバイトで爺さんのとこに行かなくちゃいけなくてね…地味に忙しい」
「なに、あんた後継ぎで卒業したら引き継ぐんだっけ?イタリアなんて遠いじゃない、どうすんのよ?」
「どう…?ああ、あの人ね……どうなんだろうね。まあ、ねぇ、だってまだプロポーズされてないもん、だから同居なの」
「あんた、ソレ」
「何?」
「いや、うん。別に」
「プライドとか意地とかもってたらあの人とは付き合えない。必要なのは開き直りの精神」
プロポーズされたら同棲になるらしい。
本人がそう言っているのでもう何も言うことはない。
「そういえば、うちの母親をいつか「義母さん」と呼びたいって正月に言ってた」
「んー、変化球」
「打ってやるつもりもなければ、振るつもりもない。プライドと意地と男は捨ててもロマンは捨てない」
そんな真顔で言われても困る。
直球じゃないとダメなのか。そうか。
因みにこの手の話は数回聞いた。まだ見も知らないこの男の彼女に同情する。年上のプライドか、それとも……
しかし、なんだか捨ててはいけないものも捨てたと言わなかっただろうか?
「あ、これ。あんたの字じゃないけど?」
「ああ、同居相手のノート」
「何よ。先輩だったわけ?」
「…不幸なことに」
綱吉のノートをめくっていた黒川が声を上げた。
彼女にとっては沢田綱吉が先輩であること以上の不幸などもうこの世に存在しない。
家庭教師がココ以下のランクを認めなかった云々と聞かされても、いろいろとピンとこない。残念ながら、事実は事実として横たわっているのだが。
しかも、同居同居と言い張る相手は、会話の端々から察するに年上の社会人、多少性格に難があるらしいものの、黒髪のイラッとするほどの美人、ついでに若干神経質なきらいがありそうなことが伺える几帳面な整った文字を書き、頭もよければ運動神経も抜群らしい。
…さらには、どうやらこの沢田綱吉にゾッコンであることが、時折耳にする電話での会話から伺えた。
家事の分担は、食事全般が沢田…ムカつくことにかなり上手いらしい…まあ、母子家庭だったらしいのでその部分は何も言わない。
相手は掃除。洗濯とペットの世話はローテーション、というか気づいた方がやる。
………なぜこんなにも知っているのかしら?もしかしてずっと惚気られていたのかしら??
―――ミードーリタナービクゥ…
「ほら、着信よ」
10ヵ月ほど前と変わらないその着信音はたった一人に対する固定であるともう黒川は知っていた。
なんだかんだ言いつつ、沢田綱吉自身も彼女に惚れぬいている。どうでもいいからプロポーズだろうが同棲だろうが好きにしてくれという感じである。
親友が、「式には呼んでねって言ってあるの」とこの案外早くに始まっていたらしい二人の仲を知った上で、ふわふわと笑っていたことを思い出す。黒川よりもよほど早く知っていたようだが、他人の事をネタに言いふらすような子ではない。
「きっと、ドレス似合うと思うの!」ブーケもらえるといいよね、などと完全に自分よりも沢田綱吉が先にゴールインすると確信している姿を思い浮かべて、いや、しかしまだ一山二山きっとあると思うとこっそりと笑う。
…その噂の相手はまったく知らない人間なのだが。
「いや、これは生歌だよ。ほら」
コピー機から顔をあげ、用紙をまとめてファイルした後綱吉は窓の外を指さした。
窓枠に、黄色いものが、いた。
綱吉が窓を開けるとソレは、パタパタと羽ばたき重力に逆らい丸い体を軽く持ち上げると彼の肩に止まり、嬉しそうに彼の首筋にその丸く柔らかそうな体を擦り付けた。
―――――――――!?
驚くべきところは、別に鳥が歌ったとか、何でそんなに丸いのに飛べるんだとか、そんなことではない。
どこかで見たことがある気がしたからだ。
歌う鳥。
自分は何かとても大切な事を見落としたのではないだろうか?
いや。いやいや、10ヵ月前にもしかしたら自己防衛本能とやらにまかせてあえて見ないふりを、気付かないふりをしたのではないのだろうか。
歌う鳥。
歌、それは彼女らの母校である中学の校歌。
そもそも、校歌を着メロなんてそんなこといったい誰がするというのだろうかと、そんな事は口が裂けても言えない恐怖政治が行われていたのではなかっただろうか。
いや、ダメだ。だめだ
ここで窓の外を、階下を見下ろしてはいけない。
知ってはいけない。
そんな事は知ってはいけない。
立ち入らず、のらりくらりと馬鹿ができる楽しい友人関係。
それでいいではないか?
プライベートなんてそんな――――――――
「ああ。下で愉しそうに群れ噛み殺してるのが同居相手ね?」
黒川花未だ未成年。
なんだか燃え尽きた。
綱吉とゆかいな仲間たち。被害者黒川
出なくてもヘタレてる雲雀恭弥―――orz
以前拍手で書いたものの設定を汲んでいます。
綱吉のバイトはもちろん、マフィアのボスです。ええ、勿論
しかし、ドレスって…ブーケトスって、どうしたいのよ京子ちゃん(失笑)