「ねえ、ねえ。見て見て恭ちゃん。うちの孫! 可愛い、可愛い? 可愛いよね、嫁にしたいくらいかわいいよね」

思い起こせば十と数年前、ドアのチャイムを激しい連打で鳴らし、ドアホン越しに幸せそうに笑っていたのは、隣の家に住み着く妖怪…のような、青年…だと思っていたら自分の親よりも歳を食っている人間。
時々殴り合ったり、時々殺し合ったり、時々縁側でお茶を飲んだり、雲雀家のお隣さんである。

ドアホンのモニター越し、ニコニコと笑っているその顔に感じた、言いようのない恐怖に従っていれば、いろいろ未来は変わっていたかもしれない。



数年後。雲雀家






** May 4   Side : Hibari 



「あ。お帰り」
「………」
「待ちなさい、待ちなさい」

出張から久々に自宅に戻り、まずは空気の入れ替えをと、鎧戸を引いた先に、他人の家の庭の草をむしる年齢不詳の男。咄嗟に両手を戸に掛けて引くが、させじと妙なグローブをつけた片手が阻む。無言の攻防に、アルミサッシが悲鳴を上げている。
隣の家の若づくりな、おじー様であった。

「明日はめでたい記念日なんだし、そうカリカリするもんじゃないよ青少年!」
「悪いね。また用事を思い出した、これからまた3ヶ月くらい空けるから」
「嘘おっしゃい。哲っちゃんが暫くは並盛で書類仕事だって教えてくれたんだけど!」

おのれ、草壁…。

自分の片腕として常日頃から扱き使い倒しているリーゼントの姿が浮かぶ。「恭さんのお役に立てれば」とそんな殊勝な事を口にしながら、実のところ何かしらの恨みでも持っているのではないかと、言い掛かりをつけて見た。とんだ濡れ衣だ。
このジジイが、草壁まで抱き込むのは、いや想定内ではあったけれど、こちらの全てが筒抜けと言う、かなり危うい状況だ。

「君はイイ部下を持ったね。ハネムーンの予定も調整するって言っていたし」
「……は?」
「あ。まだ、ちょっと早まったかもね、本人は不服かも知れないけど、高校卒業くらいまでは正式な婚約くらいで我慢させようか」

思いもよらない言葉に、手から力が抜けた雲雀をいい事に、化け物じみたジジイはスパーンと鎧戸を開け放った。じじいはなおも続ける。曰く、こんな年寄りだけど、私は婚前交渉とか全然オーケーだと思うよ。結婚まで貞操守れだなんて、今どきナンセンスだよね。

「まだ義務教育真っ最中の自分の孫捕まえて、そんな事言うアナタの神経疑うよ」
「え。別に早いも遅いも、結果は変わらないし…早い方が、ね。何も知らないうちに、いろいろ仕込めて楽しいんじゃないかな」

 ああ。だめだ、このジジイはもうだめだ。

 常識を語るには、自分が常識を逸脱している自覚が、雲雀にはある。あるが、上には上がいた。

「で、なんなの今回は」
「ふん。相変わらず察しが悪いな、恭ちゃん」
「今日の日付は、5月4日だ。そして明日は5日」
「……ケーキでも買って綱吉と祝ってくれたらいいよ。それ以外いらない受け取らない」
「何、その場当たり的咄嗟で無難な対応は。でもプレゼントはもう用意してあるよ。言っちゃったもん、恭ちゃんももう二十五なんだしいい加減、遊んでます、でお茶濁すのも無理が来るから、縁談なんかが取引先から来るよね、先にツバつけとくんだよ?って」
「……死にたい。あなたを殺して僕も死にたい」
「だから、きっと今一生懸命心の準備してる綱吉は、明日リボン括り付けて来るからね! 既成事実って社会的にも強いから」

苦悩する雲雀を尻目に、ジジイは去った。言いたいことだけ言って、帰って行った。明日、綱吉返されてもうちには入れないから、と言い置くのは忘れずに。

雲雀は、頭を抱えた。
お隣の、あのとてつもないジジイを持つ綱吉は、れっきとした男の子である。あの十年前の日、孫を連れて雲雀家をジジイが襲撃した後から、なぜかその子供は気がついたら雲雀の傍にいるようになった。よちよちと覚束ない彼が危なっかしくて、結局面倒を見ていたというのも勿論あったが、小動物に好かれる気質は人間にも有効だったらしく、酷く懐かれた。

『あのね、あのね! つっくん、おおきくなったら、きょーちゃんとけっこんする』

ソレは十年前、いとけない子供が口にする言葉は大層可愛らしかった。
白状しよう。雲雀だって、この綱吉を非常に可愛いと思っていた。
いや、過去系では決してない。いずれ、離れていってしまうのだろうと、少し寂しい気持ちで見守っていて、早十年未だに綱吉は雲雀にぞっこんだ。雲雀本人は無頓着だが、恵まれた容姿に、財力、才能。すべて持って産まれた雲雀に言い寄る女も、宛がおうとする人間も多い。
けれど、どんなに選び抜かれた通称美女、美少女であろうと、『ああ、綱吉の方が…』と考える自分に、ある時唐突に気付いた。

そして、愕然とした。

しかし、気付いたとしてどうしろと言うのだ。
幼い頃の、子供の戯言の様な約束を未だに覚えて、信じている彼。無心に慕ってくれる彼の感情が、ジジイの刷り込みだけではないのは、当然分かっている。
しかし、まだ未発達な、少し力を込めるだけで折れそうな身体をしている綱吉に、ナニをどーしろと言うのだ。同じく、心だってまだ発展途上なはずだ。まだ、十四歳。雲雀から見れば、幼すぎる。
自分でドン引きしそうな、性癖(いや彼限定だ)に気付いていると言ったって、そこまで人間として落ちちゃいない。それはいろいろまずいだろう!!

「で、どうする?」

自問した。
明日。綱吉は来る、これはもう絶対に。
顔を合わせて、切り抜ける自信が、情けないことに雲雀には無い。
これからまた並盛を出るには、暫く出張の予定はないと伝わっているはずの綱吉に対して、あまりにも酷い仕打ちの様な気がした。
だからと言って…………。

「一日、逃げ回るか…」

町内でのニアミス。5日、その日を超えてしまえば……。
なんとかこの危機を回避できるのではないかと、何の根拠もない頼りなさすぎる希望の炎に縋るほかなかった。






** May 5  Side : Tunayoshi


今日が終わるまであと数時間しかない。
とっぷりと陽は暮れて、まだまだ肌寒い外気が綱吉を包む。
雲雀が行きそうな所はくまなく探した。自宅も、学校も、神社も、好きな食べ物屋さんも。さすがに風紀財団の場所は解らなかったから行けなかったが、じい様に聞いてもらったら来ていないということだった。
綱吉は深い溜息をつく。

一日中一緒に過ごせるとは思っていなかったが、あんまりだと思う。
じい様がどんな理由で(大方お節介だろうが)雲雀に今日のことを伝えたのかは知らない。ただ綱吉は雲雀が約束を覚えていなくても良かった。勿論覚えてくれているなら越した事はないし、キセイジジツがつくれるならそれは本望だ。けれどもこの特別な日を一緒に過ごしたかった。一日千秋の気持ちで、自分はこの十年を過ごしてきたのだ。
とぼとぼと足は家路へと進む。住宅地へのびる小道に入ると視界に見知った背中が入った。

「恭弥さんっ、待って!!」

歩調を速めた相手に慌てて綱吉は精一杯声を張り上げる。そのまま角を曲がる黒い人影を追いかけようとした。遠ざかる背中に無言の拒絶を感じて、綱吉の胸中に不安が過ぎる。

―――嫌われてるんだろうか。

一瞬の迷いが足を縺れさせ地面へ吸い寄せられる。踏み込んだ勢いがそのまま衝撃となって膝にくる。

「い……っ」

じわっと、目がしらが熱くなった。
きっと追いかけても雲雀は居ない。もう雲雀にとってのイイ人がいるのかもしれない。だから、わざと避けているのかも……。
不安が大きく膨らみ、じんじんと擦りむいた膝と心が痛んだ。溜まった涙が頬をつたった。

「綱吉」

ずっと聞きたかった声が頭上からふってきて、綱吉は慌てて顔を上げる。

「―――……ぎょうや、ざん」

雲雀を見とめた途端ぐしゃりと綱吉の顔をゆがんだ。ぼろぼろと涙が零れる。

「ほら、おいで」
「ふぇ……ぅ。きょうやさん」

この歳でどうなんだろうかと思いつつも、雲雀は小さな体を抱き上げる。軽々腕に収まる子どもは雲雀の背中にしっかり腕を伸ばす。

「きょうやさん。きょうやさん……」

左肩がじんわりと濡れた。なだめるように背中をなでる。
べちゃっとこけたのを、泣くのを我慢する声を聞いて放っておけるわけがなかった。涙と鼻水で濡れた顔でさえも可愛いと思ってしまうのだ。その彼を一日悲しませてしまったことに雲雀は後悔した。

誰も人の居ない夜道、抱き上げたまま歩く。綱吉のジーンズの膝が赤茶色に滲んでいた。雲雀の家よりも綱吉の家の方が手前にある。少し迷ってから、雲雀は綱吉を自宅へ連れて行く。
一人暮らしをしている家は静かだった。リビングのソファーへ綱吉を下ろす。目を真っ赤にしながらも泣き止んでいた。
隣に座ると、綱吉が居住まいを正し、雲雀の方に向き直る。

「恭弥さん、聞きたい事があります。恋人、いるんですか……?」

どう答えるべきか雲雀は考える。恋人もなにも意中の相手は目の前にいる。返事がないのをどう解釈したのか、綱吉は真面目な顔のまま思いもよらないことを口にした。

「いるんですね。そうですよね。恭弥さんきれいだし、カッコいいし、強いし。きっとモテモテなんですね。……いいです。それでも」
「……綱吉」

まったく他人の話を聞いていない。時に会話が完結型になるところは身近に居る誰かを彷彿させる。

「いいんです。だから代わりに、愛人にしてください」
「愛人……で、いいわけ?」

聞き捨てならない言葉に、自然と声音が低くなる。

「恋人の方がいいですよ! でも、でもっ、恭弥さんに恋人が居るんじゃしかたないじゃないですかぁ!」
「誰も恋人が居るなんて言ってないよ」
「だって恭弥さん、好きな人いるでしょっ。俺、それくらい解ります。ずっと見てるから知ってます」

何が根拠なのか雲雀は聞きたくなったが、せっかく言葉のキャッチボールができ始めたのだ。むざむざ終らせるわけにはいかない。

「……それが自分だとは思わないわけ?」

澄んだ双眸が雲雀の視線を捉える。

「恭弥さんのその好きは、俺と同じ好き、なんですか?」

琥珀色に電灯の光が反射する。真摯な瞳が揺らめいて見えた。

「―――……好きだよ。ちゃんと、同じ意味で」
「ヒバードみたいにじゃないですよ! 並盛と同じぐらい、それ以上に!?」
「恋人同士がすることをしたいと思うほど好きだよ!」
「――……いいですよ。恭弥さんがしたいなら」

雲雀は目を見張った。薄っすらと綱吉は頬を染める。

「……既成事実って、何か知ってるの?」
「今日は泊めてもらいなさいって言われてます」

ゆっくりと閉じられる瞼。
握り締めた手のひら。
雲雀はそっと体を近づける。
初めて触れた唇は少し冷たかった。
角度を変えて深く口付けようとした瞬間、視線が交わる。

目があう。



「これで恭弥さんは俺のものです! キセイジジツですからね!」

間接的な表現で綱吉が解るわけがなかった。否、理解はできていた。言葉の意味だけが解っていなかった。うっかり期待してしまった自分が情けない。
「本当の恋人同士です」
にこにこと、綱吉は幸せそうに笑った。

――……仕方ないかもしれない。

据え膳よろしく、この状況で忍耐我慢を頭に過ごすのはとても自分らしくない。けれど、目の前には満面の笑みを浮かべる綱吉がいる。恋だの愛だのと気にするくらいには綱吉の心は育っている。
もうちょっと、もうちょっとだけ。せめて恋人同士がキス以外にナニをするということを彼が知るまでは待とう。

「恭弥さん、大好きです。ハッピーバースデー!!」

これからの自分を予期して、雲雀は深いため息を吐いた。








4日…たまこ
5日…桜華
そんな割り当てでお送りしました。SCC18無料配布ペーパー
コンセプトはUZAI綱吉。
の筈が超ド級にじ―さまがウザイ件についてはたまこが土下座で謝ります。