「帰ったら、今みたいにちゃんと僕の事を見てるんだよ?」
「…はい?」
そういった人は、その時酷く楽しげに、何故か穏やかに笑っていた。
自分は、少しだけ――――寂しかった。
(ああ……つ…い…ちゃった………)
重い足を引きずる様にして、必死の思いでやってきたのは応接室。
必死の思い、といっても所詮は学校。
知らず足取りはゆっくりと、しかも無意識に遠回りしてしまったと言えども、距離などたかが知れているのだ。そして、どれほどここに来たくないといっても、この学校の主が直々にお呼びなのだ。来ないわけにはいかないのである。
終礼とともにやってきたリーゼントさんに、放課後応接室に来るようにと直々に伝えられた。
恐怖と同情の視線を一身に浴びた本日のホームルーム。
その中で、草壁さんは10年たっても変わってないよな〜なんて考えたのは、たぶん自分と隣の席で鞄に教科書を詰める途中の手を止めていた山本だけだろう。
呼びつけるとはいい度胸だとわめく獄寺を山本が羽交い絞めにしている隙に、教室を出て今に至る。
(ああ。ああああぁ…俺、雲雀さんに呼びつけられるようなこと、なんかした?)
した、だろうか?
今日は、遅刻はしていない。
ここのところ、彼を巻き込んで事を起こしたことも無い。
彼は、雲雀は10年後の世界には飛んでいないのだ。
あの世界から帰還して、2週間が経っている。
現実とは思えないような悪夢を、現実になどしないと決意して帰ってきた。
強くなりたい、護れるくらいに。
せめて、手の中にあるものくらいは護れる力がほしかった。それを身に着けようと決意してきたのだ。
誰かが傷つくのはいやだ、欠けていくことなど耐えられない。
ただ、護られる事も嫌だった。
何もかもから目をそらして、耳をふさいでいれば全てが過ぎ去るなんて、そんな都合のいい事はないのだと、突きつけられた絶望的状況は結果的に綱吉をまたひとつ成長させた。
それが、綱吉の『覚悟』。
直面した現実を受け止める強さも、見つめる強さも、まだまだ持っていないけれど。ボスだなどと呼ばれる資格があると、綱吉は己を過剰評価してはいない。
マフィアになどならないとどれほど突っぱねたところで、付いて回るそれ。
せめて、巻き込んでしまった人たちは傷つけたくない。
この先、どの道を綱吉が選ぶことになっても、その責は綱吉自身が負わなくてはいけない。
せめて、繕うだけでもそれに耐えられる強さがほしかった。
あの人とも約束した。
(……っていってもさ、俺が勝手にしただけだけど)
それも心の中で誓った約束。
彼方と同じ場所に立ってみたい。
彼方と同じ目線で見てみたい景色がある。
彼方の背中を追いかけるだけの自分は嫌だ。
彼方に恥じない自分でいたい。
―――ねえ、雲雀さん。俺は彼方の不出来な弟子でしたね…でも…………
「ねえ、いい加減はいって来たら」
「なああああああぁ!!」
「煩い」
「…っいった」
応接室の扉の前でうろうろとしていた綱吉に耐えかねた雲雀が、目の前に立っていた。
バコンッと実にいい音が響いて、次に頭部にじんとした痛み。
目の前の雲雀を見上げると、彼の手にしていたファイルが少し曲がっている。ああ、アレで叩かれたのか、雲雀さんにしては情けも容赦もあったなぁ。
「なに?トンファーがよかったの」
「め、滅相も無い」
「ほら、とりあえず入りなよ」
その場で正座してしまいそうな綱吉を尻目に、雲雀はもう室内に戻ってしまった。
(……せめて無事で帰りたい…)
手振りで、室内へ促す雲雀にとぼとぼと付いて入ると、きっちりと「ドアは閉めなよ」と釘を刺された。
「突っ立ってないで掛けたら?」
雲雀が足を組んで座っているソファの正面を指されて、どうしようかと逡巡するものの、失礼しますと一言呟くとその応接セットの片隅にちょこんと腰を下ろした。
校庭からは運動部の掛け声が聞こえてくる。
目に痛い残照に目を細めながら窓の外を見ると、ゆれるカーテンの隙間から翳り始めた空が見えた。
いつもの放課後の風景、帰ってきた日常。
「君はいつも僕の知らないところで知らない君になってくるんだね」
「…え?」
「………いや、なんでも無いよ」
目を細めて、愛しいものを見る目で窓の外、何を見るとも無く見ている綱吉に雲雀が掛けた言葉。
そんな目をする子じゃなかった。
弱弱しく群れ、その小さな欺瞞に満ちた枠の中で謗り合い他者を蔑み侮る事でしか己を護れない、雲雀が忌む生き物たちの中でさえ、爪はじかれた草食動物。
初めはそんな風に思っていたのに。
今は、目の前に座っているのは別人なのではないかと思う。
変わったのは、彼自身なのかそれとも雲雀なのかそれは分からないけれど。
「あのそういえば。雲雀さん、怪我大丈夫ですか?」
今も雲雀が自身に視線を注いでいるにも関わらず、今更のように雲雀の心配をする。応接室の前であれだけ、入室をためらっていたくせに座ってから後、落ち着いた様子を見せ始めた綱吉。
怪我?あの、リング争奪戦の時のものだろうか?
そんなものはとっくに癒えている。
「雲雀さん、風邪で入院しちゃうようなひとじゃないですか!」
「免疫力と治癒力は別物。随分昔の話持ち出すね」
「…………それで、あの、ヒバリさん。御用と言うのは…ヒバリさん?」
雲雀が少し目を細めただけで目を泳がせ違う話題を探す綱吉を、雲雀は笑う。
零れた吐息が、雲雀の笑みを伝えた。
「用がないと呼んじゃいけないの?」
「いや、あのえと、そんなことは…」
うつむき加減に必死になにかを探す目の前の綱吉に雲雀は目を細める。
ああ、そうだ。
君は変わったね。
「ねえ、君さ前と違うね」
「……そう、でしょうか?」
「うん、僕の前であまりおどおどしなくなったね、それから僕の目を見て喋るようになった」
「……えっと…そんなこと……いえ…そう、かもしれません」
「うん」
この雲雀恭弥をスリッパで叩いておきながら、その後会った時はもう、おどおどした草食動物だった。
まったくよく分からない。
雲雀に対して逃げ腰の癖に、リング争奪やマフィアがどうのと雲雀を振り回す。
関わるつもりのない雲雀を巻き込んでいく、けれどその渦中へ最後の一歩を踏み出すのは雲雀自身の意思でだ、けれど、そうさせるのはきっとこの子供。
それは雲雀に起こった奇跡のような変化。
「集団無断欠席、しかも全員行方伊不明」
「―――――えっと、あ、あのそれは…」
ああ、やっぱりな。
それしかないよな、規律に厳しい風紀委員の委員長だもんな、放って置けないよなぁ。
「あ、あのヒバリさん!それは、あの…全部俺のせい、たぶん、そうだと思うので、罰は俺だけが受けますから!」
「気に入らないね」
「……―――ッ」
ふっと、自分に落ちた影に雲雀が立ち上がっているのだと気づいた時には、ローテーブルに手と膝を突いた雲雀の顔が間近にあった。
細められた雲雀の目が、獲物を狙う猛禽のそれに見える。
けれど、まだ少し丸みを遺した頬に顎のライン、まだまだユニセックスの過渡期。少し前まで自分を鍛えてくれていたあの人よりもずっと幼い顔立ちに、なんだかほっとした。
あの家庭教師を見るたびに探していた人がそこに居ると思った。
「ねえ、君ほんとに気に入らないね。何、人の顔見て笑ってるの?」
「へ?!」
「頬、緩んでるよ?」
「ほにゅ…ヒバリしゃん…いらいれす……」
ムギュと頬を摘まれたまま喋る。痛いです、と
でも嘘だ。
柔らかく摘むほどに手加減のされた手。
「僕に怯えなくなって、僕の目をみて喋れるようになって、僕の前で笑えるようにもなったよね」
「あの…」
「気に入らないよ」
「っひ――っすいませ、ごめんなしゃ……ひ…」
言い終わらないうちに、またムギュムギュと頬を摘む手に上手く喋れやしない。
「それにどうせ僕が居ないところでまた強くなったんでしょ?気に入らないよ」
―――いえ、ガッツリねっちょりアナタに鍛えられました…
「いだっ!イダイデす、ヒバ……リしゃん、ほんっ……ね、ねじるの、や、やめうぇ」
「今、なんか反抗的なことを考えた顔をしたから。うん、案外伸びないね君のほっぺ」
顔?恐ろしい、なんて恐ろしい。
いや、感情が顔に出やすい綱吉自身がわるいのか?
弾力はあるのにね、などと今も人の頬を引っ張っている雲雀が、面白くなさそうに言う。
「これまで散々僕を巻き込んできたんだ。今更除者なんて許さないよ?」
「ヒバリさん?」
「これ以上僕の知らないところでそんな風に変わっていくなんて許さない」
「…あ、の…」
「わかった?」
「えっと」
「………わからないの?」
「いえ、分かりました!分かりました!!」
「うん、それでいいよ」
綱吉は、「あっ」と声が出そうになる自分を何とか制した。
雲雀が目の前で笑っている、満足そうに、いつものシニカルなそれでは無く、悪戯が成功した時の愉快そうな子供の、少年の顔。
その顔を見て思った。
この人は、綱吉が思っているより本当はもう少し近いところに居るんじゃないかと。
『よく見てごらん』
そういった人を思い出した。
あの人にもう一度逢える時、そのとき自分たちの距離はどうなっているだろう。
もっと近ければいい、近づけていたらいい。
「はい。ヒバリさん」
「それでいいよ」
子供のような笑みを零しながら、お互いの新しい表情を見つけて少しいつもよりも早い鼓動に気づくのはもう少し先。
―――――お互いに。
無自覚な子供たちと、大人の確信犯。
小さな独占欲