Faint Blue




それはダイヤよりも輝く――





「綱吉君、リボーンそろそろ昼食にしようか?」

穏やかな微笑を常に絶やさないボンゴレの9代目が、その表情そのままな暖かな声で、彼を手招きをしている。
この遠い異国の地でも、小さな家庭教師から容赦なくスパルタ教育されている綱吉は、げっそりとした顔を、目に見えて輝かせてリボーンを見た。

「しょうがねーなぁ。ま、いい。もう時間だしな」
「邪魔をしてしまってすまないね。リボーン」


9代目がそういって、赤ん坊の肩に手を置くのを横目で見ながら綱吉は一息ついている。
この家庭教師が、綱吉に「イタリア行くから用意しろ」と突然言い出したのは、出発前日だった。
唐突にとんでもなく大切なことを、今思い出したかのように言い出すのは、いつもの事だったが、しかしその内容に綱吉は身体を硬くした。
渡伊。
それが何を意味するのか。
覚悟は、できたはずだった。
高校への進学も、9代目の配慮があったからこそだ。
本来なら、中学卒業と同時にイタリアに渡るはずだったが、今もまだこの並盛で学生をしていられる事は、感謝しても仕切れない。
もう少しもう少し、と先延ばしにできることではないが、向うに行ってしまえばもう戻る事が容易でないのは分かっていたし、数こそ少ないものの友人や、そして何も知らない母に会うことももう、ほとんど無くなる。
会えないわけではないが、会わない方がいいとそう決めているのは綱吉だ。
今のうちにと、多く遊び学び…とはなかなか言えないが、新しい学校生活もそれなりに楽しんでいる。
世間一般の高校生と同じように、バイトをしてみたり。
そんな生活がもうすぐ1年を数える。

―――バコッ。
硬い何か。多分今広げていた辞書だ。
たぶん、イタリア語の。辞書だ。
これは少し酷すぎるんじゃねいかな?先生

「――いって!何すんだよ、リボーン!!」
「何一人でシリアスな面してやがる。1週間程度の旅行だ」
「は?」
「九代目が、よければ春休みに遊びに来いってよ。多少なりとも自分の肌で向うのこと知っといたほうがいい」
「あ……。そ、っか」
「丁度いい。語学は、本場で触れるのが一番だからなねっちょりいくぞ」
「おまえ――」



そんな会話を数日前にしたばかりだったが、今綱吉はイタリアの地にいる。
北イタリアの石造りの都市。
足を踏み入れた時の感動は、今も思い出せる。
御伽噺のように中世の面影を、そのまま残した滑らかなけれど重みのある町並み、自分の頬をなでていく乾いた冷たい風、それを受けて軒先でゆれる異国の花、見知ったそれですら知らないもののように見えた。
日本とは違うその容貌に、むしろ不安が消えていく。
自分は、きっと今ま見そして培ってきた何とも重ねず、この国で新しく生きてゆける。そう思えた。

本拠地である南イタリア、シチリア辺りに連れて行かれることを想像していた綱吉であるが、まだ綱吉を他のマフィアやファミリーの目にさらすつもりがないらしい家庭教師と9代目の意向によって、9代目の今の静養地を訪う事になったのだそうだ。
午前中は、家庭教師と勉強。
午後からは、9代目との散歩と市外観光。
主に9代目との時間に重点を置かれたこの旅の目的を、綱吉はすぐに理解した。
9代目との時間に、何かと理由をつけて家庭教師は同席しなかったのだ。
だから、綱吉は二人で石造りの道を乾いた音を響かせて歩きながら、自分の心の中の疑問をその老人に投げた。綱吉の個人的なものから、次期後継者としてのそれも。
そのひとつひとつを、じっくりと聞きながら丁寧な答えをくれる態度を綱吉は好ましく思ったし、またその人柄を尊敬もした。
何も知らなかった綱吉を渦中に巻き込んだことを、悔やんでいる事は知っていたがその事を、もう蒸し返すことはなかった。
その事を、攻めるつもりはない。
綱吉自身、悔やんでもいないのだ。
不思議なことに。
「いつの間にか、身に付いてしまいました」
と、ある日。街で人込みへ脚を踏み入れるとき、外へ気を配った綱吉に気づいた老人が、瞳を向けた時笑った綱吉に何も言わず目を細めた。
護衛が付いているのは分かっていた、万が一のことも無いのだが。
もう少し、上手くできるようにならないといけませんね。と笑った綱吉に、深い目を向けて「知らず身に付いた技術を、意識できるようになったのも成長だよ」と笑んだ。

この旅は、どちらかと言うと9代目ではなく家庭教師や綱吉の父親の意向であったらしいことも、わかった。
一度、ゆっくりと話しておきたいと、そう9代目が思ってくれていたからだろう事も。
そして、ちょうど昨日。
綱吉は、一番聞きたいことを9代目に問うた。
不躾な事だと分かっています答えたくないなら、何も言わないでくださいと前置きして。







「勉強の邪魔をするつもりは無かったのだけれどね。君との時間ももう明日で終わってしまうから」
「そうですね。リボーンから突然言われたのが昨日の事の様で、すごく早く毎日が過ぎてしまいました」
「私もね。1日がこんなに早く感じられたのは久々だったよ」

老人は、時間が経つのが早いと言うのに、私もまだ若いかな?
と零す9代目を前に、最後のランチを二人で取る。
明日の昼前に綱吉はこの屋敷を経つことになっていた。
そして、今日は出かけず話そうかと、この数日でなんとか形だけはできるようになったチェス盤を挟んで、食後のお茶を。
暖かい暖炉の火が揺れる明るい部屋で、他愛のない話をしながら確かに時間が進んで行くのを感じながら。


「綱吉君」
「―――はい」

ずっと、チェス版を睨み付けていた綱吉に片手にカップを持った9代目が話しかけた。
局面は、綱吉の惨敗。
もう次の一手でチェックメイトといった構図だ。
けれど戦略的思考といったそういうものを嫌うだろうと思っていた綱吉が、意外にもその方向に才能があることに気づけたのは僥倖と言っていい。
彼のファミリーには、現時点でそういう思考を駆使できる常駐メンバーが少ないのは明白だったため、そのサポートをどうにかと考えていた老人や門外顧問にとっては喜ぶべきことだった。
争いを制するにも、避けるにも必要なものだ。
そんな事を知る由も無い綱吉は、「俺ってこの手の才能ないよなぁ」とぼやきながら頭を抱えているそんな時だった。

「君は昨日、私に『ボンゴレ以外に心を傾けるのは罪か』と問うたね?」

午後の光を受けながら、穏やかに笑う顔に綱吉はゆっくりと首を縦に振った。
言葉は、もっとたどたどしくて要領を得ない問いだったがその意味は確かに伝わっていた。
ボンゴレが抱え込む闇の部分を、知っている。
未だその深さを理解しているわけではないが、全てを背負ってやると言った綱吉。
壊してやるといった、けれどその囲いが決壊した後の事を今はもう考えられるようになっていた。必要悪という言葉を知っている。

「罪、かも知れないね…」


びくりと、驚くほどに肩が震えた。
9代目の目は、けれどいっそう和やかになった事に、綱吉は気づかない。

「ボスは、絶対だよ。ボスの意思がそのままボンゴレの意向で指針となる」

強固な帝国の絶対者。
けれど、その大きな力と引き換えにそこに私情は許されない。そして、栄光も滅亡も何もかも全て背負わなくてはならない。
その椅子がどれほど孤独なのか、彼自身が身を持って知っている。それを支えてくれる者が居なかった、とは言わないがしかしその多くの友は守護者という立場で自分に傅いた。
最重要幹部として、ボスの選定にまである程度の口出しが許された彼らですら、ボス一人の権限に遠く及ばない。
それに耐えるすべを、もうこの少年が探していることに、身勝手だと分かっていても痛むものがある。


「私は、君とは違ってもともとファミリーの中で生まれ、育ちそして選ばれた。君とは、価値観や道徳といったものが根底では大分違う、そういう生き方をしてしまった」
「……」
「ファミリー全体を愛せても、個人への愛し方を、私は知らなかった」
だから、間違えてしまった。
と静かに語る声を、綱吉はただ聞いた。膝に乗せた手を、知らず硬く握り締めていた。

「だから、私は君の選ぶ道をとても楽しみにしているんだよ」

不意に、優しい手が綱吉の手に触れた。
見た目よりもずっと硬い手だ。この人も武器を持ち、そして自らの力で戦いそして生き残った人だった。



「え?」
「罪かと問われれば、そうかもしれないと言わざるをえない。」
「…はい」
「けれど、心の中にあるものに順位を付ける必要などないと、そう思わないかい?君が、ファミリーを愛してくれるならその思いを天秤にかけられるほどの想いを君が何かに傾けていたとしても、君は一方を棄てたり蔑ろにしたりそんな風にはできないだろう?」
「そうで、しょうか?」
「君がこれから立つ場所は、とても孤独だよ。けれど独りではない、独りだと思ってしまってはいけない。いつもファミリーを、誰かを感じていなければならない場所だよ」

とても厳しい言葉だと思った。
そこは、近くても遠くて手を伸ばせば届きそうで、けれどとても高い場所。
決して割れない透き通るガラスで隔てられた領域。

「君は護っていかなければならない」
「ファミリーを」
「そう。そして、君自身の心を」

ふっと、弾かれた様に顔を上げる。
そこに居たのはいつもの、好々爺の顔をした老人ではなかった。
酸いも甘いも噛み分けて、幾千の死線を抜けてきた人間の、震えるほどに凪いだ人間の姿。
だから、その声が持つ響きはひどく心に沁み行く。

嗚呼、自分もこの人の立つ場所に立つのだと、唇を強くかみ締めた。
強くあろう、そう心に刻んで。









「おいダメツナ」

ゴスッ

っと重い音がして、こめかみに当てられた硬いものを感じながら綱吉は顔を引きつらせた。
空港の、金属探知機をはじめとした持ち物検査でよくこれが引っかからなかったものだ。
赤ん坊が持っているこれは、決して偽者でもおもちゃでもない……。

「リボーン…おまっ」
「おめぇ、それどーした?」

帰国の途に付いた綱吉とリボーン。
傍から見ればまったりと時間を過ごしただけのような旅行だったが、得るものは多かったと思う。いまは、まだよく分からないが。
何より、9代目とゆっくりと政治的な何某を抜きに話せるというのは、もうこれ以降ないような気がしていた。
次に会うときは、先代と次代という立場が大いに付きまとうのだろう。
綱吉は、たぶん高校卒業まで日本に居られない。
その事を薄々感じていた。
休みが明ければ、もう2年生。
あと、2年も執行猶予は無いのだ。
その間に自分は何ができるだろう?
どう成長できるだろう?
そして、どう過ごせばいいのだろう。

手元に手をやりながら、9代目とのやり取りを思い出しつつそんな事を考えていた綱吉に家庭教師は容赦が無い。


「ああ、お別れの時に9代目が物置の置くから出てきたものだとか言ってくれたんだ」


家庭教師が指す綱吉の手元の小箱。
古めかしい容貌だが、角の側面などには精緻な細工が施してある。そして、中には日に当たらなかったからか同じ年代のものであるにもかかわらず、未だ鮮やかな臙脂のビロードのクッション。
その中央に、綱吉の小指の爪にも満たないほどの大きさの石が鎮座していた。
それを見た時に、綱吉は即座に貰えないと返したの。
小さくとも素人目に見ても、安価なものだとは思えなかった。
けれど。

『君の行く末に幸多からんことを。おまもりだよ、だから、最善の場所に…』




「って、言われるともう返せなくてさ……」
「ほぅ。まあ、大事にするんだな」

綱吉は、猫になんとかだとか豚に何とかだとか散々なことを想像していたが思ったより、口数の少ない家庭教師に目を見張りつつ頷く。
それを、見ながらもう一度家庭教師がどこか楽しそうに言った。


「それより、ツナ。それ光に翳して見ろ」
「ん?うん」

飛行機の小さな窓、雲よりも高い場所でいつもより大きく感じる太陽にそっとその石を透かしてみた。
暗い、灰色を内包したような石をそっと指に挟んで覗き込む。


「わぁ…」


思わずこぼれた声、それは溜息のように。
少し角度を変えるだけで、灰からごく薄い青紫へと輝く宝石。

光を受けていっそう強く。







ダイヤモンドにも勝るフェイントブルーへと。






9代目はメインではなかったんですが、1本分の長さになってしまったので。
ついでにきりもいいようなので。

あ、あれ?ヒバツナどこ!?