カナリア・ノイズ




―――キュッ

耳元で小動物が小さく鳴いた。
己のボックスから出てきたハリネズミのレプリカ。
なんとかレプリカを製造できる程度には研究の成果は上がっているけれど、またまだオリジナルの制度と比べれば全てのパラメーターにおいて劣る
模造品を作ることに意味は無いのかもしれない。
偶然の創造物ならば、人為的にそれを凌駕することは限りなく難しいのだろう。

「なんだい、もうおしまいかい?」

膝を付いて肩で息をする少年を見やる雲雀。
ぜえぜえと息が乱れる音を聞く。気管支がおかしくなっただろうか、そもそも内臓すらもダメージを受けているのだろう。
時間の無さにこれと言って焦れる素振りを見せなかった雲雀だが、しかしほんとうに焦っていなかったといえば嘘になる。しかし、そんなことを言っていては時間が足りない、いくらあっても。
綱吉の潜在能力を知ってはいるが、彼がそれを発揮するのは敵との戦闘においてだった。
そのために、局面で力を発揮する土台は作っておいてやらなければならない、基礎を徹底的に磨いてやるための家庭教師だった。
他の人間と違って、性質の悪いことに実戦で技と戦闘スタイルを完成させていくタイプだから、どうしようもない。
手探りで死線に触れて、強くなってゆく彼に10年の年を数えた雲雀はどうしようもなく焦れた。分かってはいるが、随分と危ない綱渡りだ。
過去の自分ならば、そんなことを思うことも無かっただろうに。
自分も、年を取ったものだと人知れず雲雀は笑った。

「…ヒバリ?」
「ああ、まだ立っていられたの。随分できるようになったじゃない」
「…!」

珍しく自分に対して認めた発言をする雲雀に、さすがの超死ぬ気状態の綱吉も目を見張った。
皮肉る言葉ではなかった、ほんとうに純粋な言葉だったのだ。
その綱吉の表情にまた雲雀は面白いものを見たという顔で口元を上げた。

「でも、まだまだだけどね」
「…わかっている」
「うん。だから、もっと強くなりなよ」
「え?」

すっと、雲雀の両の手かかバイオレットの炎が消えた。
みるみるうちに淡い色になって、そして消えた炎にではなく、その瞬間に雲雀が見せたなんともいえない切なげな表情に綱吉はその場から動けなかった。

「今日はこれでね」
「待て!」

咄嗟に呼び止めたが、言いたいことだけを端的に捨て置いて、まっすぐにエレベーターに乗り込んだ雲雀の背中はもう振り返ることはなかった。

「……ヒバリ、さん?」

ポツリと呟いた言葉は、広いフロアに嫌に大きく響いた。








エレベーターの中で重力を感じる事もなくあっという間に目的のフロアにたどり着くと、そのまま真っ直ぐに自分のアジトへと戻る。
その間、誰にも出会うことは無かった。
誰が何を言うわけでもなかったが、それでも皆が残された時間が少ないことを知っていた。
全体を包む空気が

草壁から上がってきていた報告書の束を頭に入る程度に流し読んで、そのまま焼き捨てた。もうすぐ、確実に戦場となる場所に機密は残しておきたくは無かった。先の報告書には、ボンゴレと財団の機密に加えて内部の戦闘能力の解析結果も含まれている。何があるか分からないところには、おいて置けない。燃やしてしまうのがいちばんいい。
既にコンピューターシステムのメインサーバーも別の場所に移してある。壊させるつもりは無いが、無傷でいられるとも思ってはいない。
庭にしつらえた大きな睡蓮鉢に灰を落とすと、ゆっくりと泳いでいた金魚が餌とでも勘違いしたのか口をぱくつかせていた。
そういえば、随分大きくなったが昔綱吉が祭りの夜店で取ってきた金魚だったと思い出す。そんな些細な、彼が残していったものがこの屋敷はいくつも存在した。
それは、雲雀にとって何時まで経っても何よりも色鮮やかなもの。
ふと目を伏せるが、脳裏には結局先ほどまで鍛えていた幼い彼の姿が映る。
彼が、ココに繋がっているのならそれならば………

「やめよう……」

自嘲気味に笑った雲雀の声は、ゆるやかに泳ぐ紅い金魚だけが聞いていた。
その後雲雀は何事も無かったかのような、いつものポーカーフェイスで部屋の奥へと消えた。




自室でいつもの紬に着替えて、広間に戻ると先客がいた。

「ねえ、赤ん坊。僕はここで風紀を正すべきなのかな?」
「かてぇ事、いってんじゃねーぞ」
「ヒバリ、お前も座れ!」

襖の奥では、赤ん坊と浴衣姿の笹川了平が杯を手にして手招きしている。
他人の家でいったい何をしているのだろう、今更とがめたところでどうこうなるようなかわいい神経を持った者たちではない。そんな事はよく分かっている。
とりあえずのところは、赤ん坊の飲酒について風紀を説いてみようか?という諦めに似た言葉だった。
膳の上に乗った刺身を盛った皿は、間違いなく雲雀の古伊万里で自分の部下といえども、肴まで出すのもどうかと思う……。
もちろん、そんな突っ込みはほんとうに今更だ。
雲雀も負けるほどに己のペースで生きている二人に何を言っても仕方が無い。
気にする方が馬鹿らしい。

「何突っ立ってんだ。せっかくコイツが良い酒持ってきたんだオメエも座れ」
「お前は洋酒は飲まんからな」

自分の家なのだが、なんで君たちがそんなでかい顔で何してるの?
とは、もう流石の雲雀もいわなかった。


「それで、何しに来たの?」

手酌で杯に酒をついで口をつけてから、視線は自分の手元に落としたまま問うた。
真昼間から酒盛りとは些か情緒に欠ける、とも言えない時間になっていた。
綱吉の修行に付き合っていると時間を忘れる。そろそろ太陽もその姿を地平線に隠す時間になる。

「いや。これといった理由があったわけじゃねえ」
「大人組で一杯くらいやっておくか、ということになってな」
「そういうことだ」
「……」

ニヒルに笑う赤ん坊をちらりと見た後、雲雀は己の杯を乾した。

「あの子の修行なら一応順調だよ。技の原型はできているし、発動までのタイムラグを稼ぐ戦法も身体で覚えてきている。炎の放出の精度とタイミング、出力濃度はあの子がどうにかするはずだろう」
「別に修行の成果聞きに来たわけじゃねーって言ってんのによ。なんだ、おめーも楽しそうじゃねーか」
「いつに無くよく喋るではないか!!」

両サイドから肩を叩かれ嘆息する雲雀を他所に二人とも楽しそうにやっている。
完全に出来上がっているわけではない、かといって空元気というほど事態を悲観しているわけでもない。その場その場の雰囲気を楽しむ赤ん坊と、酒は楽しく飲むのがポリシーの了平。
このメンバーなのだから致し方ない。
雲雀の意向は、そもそも考慮などされていない。
ボンゴレ側からの総攻撃を目前に、堪らないほどのプレッシャーを感じているわけではないだろう。酒で陰鬱としたものを紛らわそうと、そういう意図ではない。
イレギュラーな時間軸での最初で最後の酒宴だった。
ちらりと、リボーンが雲雀を見た。
その手には、徳利がぶら下がっていてゆらゆらと揺れる。
中身が無いと催促されているわけではなかった。

「まあ、適材適所ってやつだな」

とくとくと音をさせながら杯を満たす液体に目をやって、雲雀はリボーンに酌を許した。
一口で乾すと、今度は自分が赤子に。

「僕は、群れる気はないからね。まあ、君とならまた飲んでもいいかな、落ち着いたらいずれ」
「ふん。珍しいお誘いじゃねーか、俺にとっちゃ10年後だけどな」
「お前はほんとうに天性のいじめっ子だな。この俺もいるというのに」
「君は嫌だ」
「ほんとに、オメエらは変わらねえな」

くつくつと笑う赤子は、前触れも無く立ち上がるとそのまま背を向けた。

「どうした?」
「そろそろ帰らねえと煩せえからな」

スタスタと歩くと、障子に手を掛けた赤ん坊は思い出したようにまた口を開く。

「…頼んだぞ?」

この小さなヒットマンにしては、随分間を持たせた言葉に、けれど雲雀は目を眇めただけだ。

「……群れるつもりは無いからね、僕は僕の好きなようにさせてもらう。彼らとは別行動だ、それを言うならこっちにじゃないの?」

顎をしゃくって向かいに座る男を示すと、また杯を煽った。

「…ふん。まあ、節度ある飲み方をしろよ、明後日…いや、もう明日には殴り込みだ」

ひらひらと手を振って、もう立ち止まることも無く消えてゆく赤ん坊の後姿を、横目で見送る。
珍しく笹川了平が静かな事をいぶかりながら。

「…何?」
「いや、お前がどれだけ今の沢田を鍛えたか、見届けられんのは悔しいなと思ってな」

そういいながら意味深に笑う。
時折微妙なところを付いてくる男だと思う。
六道のように完全に他人を試して食って掛かるでもなく、山本のように腹の一番深いところで何か計算しているわけでもない、言ってしまえば勘なのだが、それがどうにもよろしくない。
時に一番確信に近いところを抉って行くからだ。
それも、本人になんの他意もないから始末が悪い。
無邪気ではないが、毒も何もない言葉はどう受け取っていいのか分からない。

「俺たちを奮い立たせるのもまた、あの背中なのだな…」
「………」

答える言葉は、無い。
雲雀の記憶に焼きつく綱吉を、そっと思い出す。
華奢と言うわけではないが、薄い肩、細い背。
骨格そのものがあまり丈夫ではないから、一層。そして無骨な戦地を真っ直ぐに見て立つから、一際…彼のその小さな背中を思い出す。
戦うことは嫌だと、他人を傷つけることも嫌だと。
ただただ、守るために拳を奮う彼。何時だって、それだけだった。

「………腹立たしいね」

ポツリと、ほんとうに囁く程度に、たぶん本人ですら気づいていたい呟き、珍しく帰ってきた言葉に少々驚きながらも、滅多には見せない自嘲をこぼす。

「俺も、明日が早いのでな。そろそろ戻る」

浴衣の裾を捌きながら立ち上がった笹川了平に、一瞥をくれただけで雲雀はもう何も言わなかった。
ただ、彼が座っていた場所にもう一本置かれた酒瓶。戻ってきたらあいつと一杯やれと、置いていったものだ。
あの男が言う『あいつ』が誰をさすのか、雲雀は笑った。


「……ほんとうに腹立たしいね」

護るべき者を失った、それだけでも彼から贈られたリングに恥じると言うのに、どれほどに惨めな思いをしたかというのに………。
また、あの小さな背に庇われるなど堪らない。
護ってやらなくてはと、そう思っているわけではないが自分を背に回して彼が傷を受けると言うのなら、雲雀はきっと彼を己の背に囲う。
これは彼らの試練でもある。
知っているが、それでも、だ。



――――強くなくてはいけない






「さあ、過去の自分はどれほど戦えたのかな……」

部屋の照明を写して小さな波を作る杯を手で弄びながら、口元にほんの小さく笑みを刷いた。

彼の背越しに見た世界に己の無力を痛感した過去。
見たくなどないのに、どうして目が離せないのだろう。
そして、どうしようもない苛立ちの正体を自覚した。
気づいた。
縛られていたのは、縛られたのは自分。




そこは甘いだけの場所ではなかった――――





見つめるなら微笑む君を
見せ付けるのなら己の背中を――