悟られずに外堀を埋めるテクニック
床にゴロゴロと転がった酒瓶が照明の光を反射している。
ああ、虚しいなと思いながら綱吉はそれをちらりと見た。
ボトルなんて洒落たものじゃなくて、もう樽でいいんじゃないかな…
後半はもう味もわかってないみたいだったし。
(このボトルに安い酒詰め替えようかな…)
巷で聞こえる高級銘柄のラベルが張られた瓶を見る。
宴会の後はいつもこんな感じだ。
ファミリー集めてのパーティーの終わったあと、一部の友人、といっても彼らは皆ボンゴレの要職やそれに準ずる立場の者たちなので、幹部のみの集まりと末端の部下たちから言われていても仕方がないのだが。
「綱吉君?」
「ああ、すいません。どうぞ、恭弥さん」
「………」
カードを差し出す綱吉から、無言で雲雀は手札を一枚引く。
そして、また1ペアテーブル中央に棄てる。
「なんでこんな和やかムードなの」
「…いい歳した大人。しかも男4人でババ抜きですもんね」
「金品掛けない爽やかルールで、時間もそれなりに潰れるゲーム。と言うことで健全なのでは」
「まあまあ。男4人でも目には楽しいから私は満足だよ。それに静かだし、落ち着きもあるし」
今さら小銭がどうこう言うような財布の持ち主ではないのだ、皆それぞれ。そもそも別の興味に引きずられすぎて、金に対する欲望自体欠落しているといってもいい、
ニコニコと9代目が草壁からカードを抜く。
じゃあ、マフィアらしく不健全な要素でも入れる?かるく罰ゲームでも、なんてそんなことを笑顔で言われるとどうしていいか解らないので、やめてほしいと思う。軽いの基準はどこだ?
あ、ババ引いちゃった。
といつもより若干陽気な9代目の声。
たぬきめ、ババは無表情でグラスに口をつけている雲雀がまだ持っている。
脳みそ筋肉で出来ているんじゃないだろうかというメンバーと、それに付き合わされた哀れな人間は酒宴で既に床に沈んだ。
仕事が残っているという人間は先に帰っていった。
遅れてではあるが否応なしに引きずり込まれた雲雀と、それに付き合わされた草壁。
彼らは明日の朝1番の便でイタリアを発つので、中途半端な休息はとらずに夜明かしするらしい。
小さなテーブルを囲んで、今夜は平和だなと先ほどまでの阿鼻叫喚の酒宴を記憶の彼方に追いやって、最後まで隠し通していた上物のワインをちびちびっと舐めながら、うっすらと空が明けてゆく様をカーテンの隙間からぼんやりと見やった。
「どうされますか?10代目、どこかで昼食に」
「いいよ。またぎりぎりの移動時間も嫌だし、車の中で何か食べるから。山本、何買ってきてくれたの?」
「おう。パニーニ買ってきたぜ」
「てめぇ。商談の間居ねえと思ってたら……」
「このホテルのあるブロックに美味い店があるって聞いたからよ」
斜め後ろに山本と獄寺を控えさせて、レッドカーペットが一直線に引かれた、ホテルの最上階のフロアを後にする。
ゆっくりと扉がしまり、降下を始めたエレベーターの中。重力を感じながら、下ってゆく階層表示のディスプレイを会話の中でもぼんやりと見ていると、高速エレベーターはすぐにメインロビー階、エレベーターホールへと着いた。
一歩足を踏み出すと、格式を重んじる老舗ホテルらしい調度とカッティングの美しいランプシェードやシャンデリアが煌く照明、騒がしいと言うほどではない喧騒と、品のよいクラシックの生演奏が微かに高いホールの天井にこだましている。
このホテルの雰囲気は綱吉も気に入っていて、ラウンジでお茶でも飲んでいこうかと一瞬考える。
今日は朝から、商談と同盟ファミリーへの顔出し、夜には先代と晩餐とそれなりにいそがしい。
9代目との情報交換と打ち合わせを兼ねた食事はともかく、部屋に篭りきりのデスクワークと、中年おやじの顔色をいちいち伺いながらの会話と、どちらが精神的負担が軽いかと問われれば言うまでもない。
格でいえば、ボンゴレファミリーのトップである綱吉が上だが、使えるコネクションは多いに越したことはないのだし、無用な諍いを起こしてある程度均衡を保っている現状を崩すのも得策とは思わない。
切ることはいつでもできる。
「お。ツナ好みの美人」
「ん?何突然」
「あん?」
山本がぽつりと零す。ヒュッと口笛まで吹きそうな口調だった。
こちらに問うたというほどのものではなかったが、綱吉と獄寺は反応を返す。
それに、この話を続ける気になった山本は顎をしゃくり、自然と二人の視線が釣られるようにそちらへと誘導される。
嗚呼、煌びやかだ。
鮮やかな赤をまず認識した。かといっても原色に近いような、目にいたい色ではなく落ち着いた、真朱から裾へと黒に近いグラデーションを描いてゆっくりと落ちてゆく韓紅花。
流水のなか流れる花と御所車が優美に描かれた友禅。微かに身じろぐだけで光を反射するのは、螺鈿と金細工が施してあるのだろう。
帯は元は黒地なのだろうが、精緻な刺繍と染めで着物に負けないくらいの豪華さ。帯揚げと帯締めの飾り結びが絶妙のアクセントになっている。
品物自体の良し悪しは、ここ最近上物ばかりを目にしてある程度わかるようになっている。
生地の絹の皇かなことこの上ない。その辺りは万国共通なはずだ。
イタリアの真ん中で母国の、女性の第一礼装を目にするとは思わなかった。遠目に見ても芸術的価値をしっかりと醸し出している。
さらに見事なのは、切りそろえられ頬を流れて顎のラインを縁取る髪。後ろは背の半ばまで流れていて、一切の装飾を排除したそれでも、それだけで極上の艶。
伏せ目がちの横顔は面の白さを時折覗かせるものの、よくは見えない。
けれど、その場を作る空気が違う。
圧倒的な存在感を主張するけれど動のイメージは決して持たせない、美しい日本人形のようだ。
「おい、お前何が10代目の好み」
「だって、ほら。和服の似合う日本美人?一見して冷たそうな雰囲気?」
「…………………」
「お。どした?ナンパでもするかー」
「馬鹿ヤロウ!10代目にそんな下品なまねさせられるか!!10代目、何なら俺がお茶の申し込みから部屋のリザーブまで手配いたしますので。…10代目?」
「…え、えっと?なんだっけ?ナンパ?お茶?部屋?大丈夫いいから」
「―――――っく」
「もう、お前アイツじゃなけりゃだれでもいいのな。ナンパより部屋云々のほうが洒落じゃなくなるぜー」
はははーっと、笑いながら無駄な努力はもうやめようぜ、と無常を噛み締めている獄寺の背をばしばし叩く山本。
そんな割と見慣れた光景に、溜息をついて「ほら行くよ」と二人を促し歩き始める。
もう一度、無意識に振り返ると『彼女』の傍に一人の青年。恭しい態度で何やら話していた。
髪はやはりこの国では珍しい漆黒で、後ろへと流さして首筋で一つに結わえてあるらしい。肩幅もがっしりとした、男性として恵まれた体躯でありながら厳つい雰囲気を持たないのは本人の気質なのだろう。
「おー、好青年。残念」
「…うるせー!!黙ってろ」
「なんか、すごく申し訳ない気分になってきた」
周りの見えない二人…いや、一人は愉快犯かもしれない。そんな二人の漫才を背後に、遠巻きの視線を感じつつエントランスホールを抜けると横付けされたリムジンにすべりこむ。
なんだかとっても疲れたな、これからまた一仕事かと一息ついたところでげっそりした気分になる。
ゆっくりと車が走り出したと同時に、胸ポケットの携帯が着信を告げた。
「ねえ、しってる。着物ってさ、寸法の直し洋服より利くんだよ……」
「はい?」
「おう。あんまり鋏要れずに反物を縫い上げるからなー限度はあるけどできるぜ。どした?」
「10代目?」
勝者は敗者を意のままにできると歌っていたのは、某氷のエンペラー。
その法則に則って、綱吉はスクアーロからがめたワインを1本持っていかれた。
ババ抜きで負けた代償としては少々大きかったが、所詮他人のものだったのでそう惜しくもない。時間つぶしのお遊びだし、こんなものだろうと思っていたがそのツケが今、回ってきた。
今夜の食事の席で何を吹っかけられるだろう。
どうして今日自分はデジカメを持っていなかったのだろう。悔やまれて仕方がない。
雲雀恭弥の振袖姿など世界が終わってももう見られないに違いない。
それを唯一持っているであろう愉快なじい様に、何をさせられるかわかったものではないのだ。
しかし、あの人もよくそんな罰ゲームに乗ったものだな………意外なところで律儀というか。
振袖一式仕立ててまで――――。
一番、つらい罰ゲームを食らったのは彼のポリシーとも言うべきリーゼントを解かされた草壁であろうことは、言うまでもないのだが。
きっと断腸の思いだったに違いない……。
「あ。なあ、ツナ。スクアーロからメール来てたんだけどな。先代がお前の見合い相手探してきたって」
見合い写真みたいなの眺めてニコニコしてるってよ。とメールを読み上げる山本。
一瞬ぽかんとした後、「9代目がお選びになったお嬢さまならすばらしい女性です」となぜかきらきらしい瞳をする獄寺。
以外にもどうしたものかと冷静な綱吉。
じゃぱにーず見合い写真なんて、なんで知ってるんだあのイタリア人などと突っ込んでしまう。
そりゃあ、ニコニコもするだろう。きっと眼福だ、美人じゃないはずがない。自分を差し置いて、なんてうらやましい!!
先のあの姿の見せ方、性別の判断材料になる指や、首筋や、肩幅を絶妙な座り方やこちらへ向ける角度や、しぐさで隠していたあの芸の細かさ。
そもそも完璧主義者なのだ。
きっと抜かりはないはず。
普段でも十分なのに、先ほどは不覚にもときめいてしまった。
綱吉もちゃんと男の子だったらしい。
二人のごにょごにょでは最初ッから例外なく、男の子な役はなかったのだとしても。
しかし、今更チェンジする気もないので別にいい。いいのだが、ときめいたのものは仕方ない。
目の前で着てくれとは言わない。それでどうこうとは更に言わない。
あれは、完全な観賞用。
「写真、ただでもらえるならありがたく貰う。うん、そうする」
「は?」
10代目の式はこの俺が如才無く整えさせていただきます。とあれやこれやと夢見がちな獄寺。
嗚呼きっと彼から尾鰭背鰭がついた噂がひろまってそれの収集がほんとの罰ゲームかななんて、考えそうになる思考を無理やりねじ伏せて、ポジティブに生きてみることにした。
『直すから』
と、本文はまっしろのまま件名にのみ一言。
寸法か、そうか、そうなんだな。
ソレ着ることより、負けたことのほうが悔しかったんでしょうね……。あなたの性格ですもんね。
でも、残念です俺は負けません!!おとなしく着たりしません!!
主語も何もなく入れられたメールを画面に表示したまま、綱吉はぐっとその携帯を握り締めた。
勿論その後、雲雀の恐ろしさを思い知る………。
大っぴらに贈れる口実ができて旦那様は悪い気はしてません。
孫の晴れ姿が見れるならおじーちゃんは悪にでもなります。
哲っ、ごめんっッ!