「うん…、わかった。そうだね、のんびりしていられないものね」
『はい。XANXUSのヤローが…いろいろと……』
「あー。そうだよね、後片付けとか出来る性格じゃないねぇ」
『すいません』
「いいよ。じゃあ、予定通りで」
『はい―――』
ピッ―――
小さな電子音が聞こえて、その後に綱吉は電話の子機をスタンドに戻した。
はぁと大きく息を吐くと、掛けていた椅子に沈み込む。
「明日には発つの」
「聞こえましたか?急ですよね」
「そうでもないだろう。君にしてはゆっくりしていた方だ」
「嫌味に聞こえます」
ミルフィオーレ戦から2週間近く経とうとしている、本部の事後処理を放りだして、トップが日本にいるのだ。
向うから帰還を促されても仕方がない。
しかし、綱吉とてここで何もしていなかった訳ではないのだから、仕方がないではないか。此方も粗方片付いた、後は他に人間にまる投げして綱吉はそろそろイタリアに戻らなくてはならない。
先代と門外顧問が居るとはいえ、現トップが不在では体裁も悪いだろう。10年たってもまだ、綱吉自身に組織内の敵がいないわけでは無いからそうそう下手なところは見せられない。
先の、ボンゴレ十代目射殺の報に対する糾弾は避けられないだろう。
どれほどの衝撃をファミリーに与えたか、老人たちは嬉々として綱吉のボスとしての資質を問うて来るに違いない。しかし、あ程度の落ち着きを取り戻すまではミルフィオーレとのごたごたで半壊状態の今、古タヌキもこれといって何もしてはこないだろうが、今のうちに締めておかねばならないところはあるだろう。
綱吉一人の首でどうにかなるならそれでもいいが、よけいな混乱はもう避けたい。
ビアンキ、フウ太、獄寺は既にリボーンに伴われて日本を出ている。彼らがある程度の処理はしてくれているはずだ。
日本のことは、しばらく逗留予定の山本に全権委任しておけば、いいだろう。
笹川了平とラル・ミルチは早々にボンゴレ各支部と、同盟ファミリーとの交渉連絡に各地を飛びまわっている。
骸は残党の洗い出しを密かに行っている。
ミルフィオーレ日本支部の跡地についての解析検証その他日本国内への根回しは、雲雀がジャンニーにと草壁をつかって滞り無く進めているため、毎日多くの報告書が上がってきていた。
もう一度言う。綱吉もこちらの処理に追われていた。
けっして、日本でだらけていた訳ではない。
「いつも何かと横槍を入れてくる連中が大人しかったと言ってるんだよ」
「分かってます!」
雲雀の言い分は、休暇を取ってきましたと言いつついつも、その休暇の半ばで連れ戻される羽目になる事を揶揄している。
その度に、期限を損ねて消息を絶つこの男を探し出してご機嫌とりをしてきたのだ。
中南米だとか、アフリカ大陸とかおよそイメージにそぐわない携帯も通じない未開の地に分け入って引きこもる、この手の掛かる子供のような人に必死に謝り倒して埋め合わせを求められるのだ。
だいたい、綱吉自身だってなんとも思っていないわけがないのだが、そんな逆切れが許されるはずもない。
しかし、本当にすぐにでも戻らねばならないところを、今日までよく目を瞑ってくれたものだ。
雲雀は綱吉が頬杖を付くテーブルに持ってきたトレイを置いて、持ってきた小さめのポットからお湯を湯冷ましと急須、茶碗に注いでいる。
綱吉は、その一連の所作をぼんやりと見ている。
悔しいが所作の一つ一つが絵になる。
こんな風に美しく日本茶を煎れる人だと知ったのはいつだったか。
その視線に気付いた雲雀が、綱吉を見やった。
「何?」
「んー。いえ、そういえば昔は紅茶の方がたくさん煎れてもらった気がするなーって思って」
「……そうだね」
今、『昔』といえば二人にとって、いやボンゴレ守護者全員が思い浮かべるのは中学の頃。
自分たちの時代に帰った過去の、自分たち。
無事に帰っただろうか、と思う必要もない。
あれは自分たちの過去だ。
今、思い出せばもう懐かしい記憶だ。彼らがこれから歩んでゆく道は綱吉が歩んできた道かもしれないし、もしかしたらまったく違うところに行くのかのもしれない。
綱吉の今は、もしかしたら先日帰っていった彼らの未来ではないかもしれない。パラレル理論とか並行世界とかその類のはなしだ。
そう考えれば、すこし興味もあるが、それならそれでいい気もした。
今の綱吉は、記憶をたどる。
あの頃、綱吉は雲雀が戦う以外に、こんな所作をするなんて、出来るなんて、知らなかった。
いや、もしかしたら知っていたかもしれない。
あの頃から、ぼんやりと綺麗な手をした人だとは思っていた。
取り留めのないけれど細かいことを、ぼんやりと考える程度にはいつも見ていた気がする。それが、明確な形となるまではどれくらい掛かったかは分からないが、けれど確かにその時もうこの想いはあって、そして10年掛かって育てたものであることもまた確かだ。
「でも、俺。あなたが煎れるお茶好きですよ」
適温で注がれたお茶を急須から茶碗に最期の一滴まで、注ぎきる。
ちゃんと茶托に乗せられて、綱吉の前に置かれた器を両手で持って礼を言う。
薄い新緑の色をした液体は、温めの温度でたっぷりと抽出されていて、甘みと渋みのバランスは申し分なかった。口に含んで香りを楽しんでから飲み下す。
「紅茶の味も、日本茶の味も、教えてくれたのはあなたですから」
「その割りに、君はあまり上手にならないね」
「ダメツナなので仕方ありませんよ」
ヘラリと笑って、茶請けに手を伸ばす綱吉にふっと笑って雲雀も器を手に取る。
それを、横目で見ながら綱吉は目を細める。
そうだ、その綺麗な長い指の所作をこっそり見るのが好きだった。
顔もなにもかも整った人だけれど、以前は凝視することも出来なくて。
あの幼い日から、いろんなことがあってここに居る。
ふふっと雲雀を見やると、視線を泳がせた後ふっと逸らされる。
大人になって、マフィアになって、雲雀との関係もかわって。
変わらないことのなんと少なかったことか。
雲雀が煎れてくれるお茶が紅茶から、日本茶になって。
イタリアでは珈琲よりも紅茶を好んで飲むようになった。
卵が先かニワトリが先か………。
しかし結論まで出そうと綱吉は思わない。
ただ雲雀が綱吉の茶碗を用意し、綱吉が気に入った菓子と気に入りそうな菓子を用意し、綱吉の前で初めて封が切られる新茶を目の前にして、いつもにこりと笑うと、ばつが悪そうに雲雀が視線を逸らすだけ。
「ほら、飲んだら準備でもしたら?明日の朝には経つんでしょう」
「はい。それじゃあご馳走様でした…っと。――――恭弥さん」
するりと雲雀の横をすり抜ける前に、肩に手を置きそのまま首に腕を回した。
ほぼ、同時に雲雀が綱吉の腰に腕を回していたのに気付いて、お互い苦笑した後腕に力を込める。
「いってらっしゃい」
「はい」
過去の面影を遺して
過去の残像を探して
そうして過去を塗り替えて
ぼくたちはまた今日を生きてゆく