祈りの無益を、知っている。



祈ることなどしない。ねえ、だから―――







最初に見えたのは白い光、瞳を刺すような明るく、白い、白い、光―――。
何もかもが真っ白なその視界の中で、真っ先に探したのは早く、一刻も早くこの手に取り戻したかった彼の姿。
ぼやけた視界で、傍らに掛けていた彼に伸ばした手は無意識。

おかしいね。

これまで、遠く離れて、触れるどころか声も聞けず何日、何ヶ月過ごした事だってあるのに。
今はこんなにも君の温もりに触れたくて仕方がない。

あい、たかった…

あいたかった


あいたかった


アイタカッタ…!!


これまで傍らに居たのは、君じゃない君。
まだ君になる前の、僕のものじゃない君。
あの10年前の彼を見たとき感じた焦燥は、彼を鍛え、導くその過程でたまらない遣る瀬無さに変っていった。
彼は、君ではないんだと言い聞かせたところで、どうしても重なる表情、口調、まだ幼いながらも自分を惹き付けるその存在そのもの。
どうして平気で居られただろう?
当然のように傍らにあったものが、10年という時間で積み重ねてきたものだと噛み締めさせられて、どうする事もできない感情をただ持て余した。
一日…一分一秒ですら早く、早く――――。ただ繰り返すことしか出来なかった。
願う事すら忘れるほどに。

生き物は、やがて土に還るのだ。
そう、それはどんなものにも等しく訪れる真理。
解っていたはずだったのに、やがて分かたれる日が来る。
それはきっと、お互い別々の場所で。
別々の時。

解っていた?
言葉では、けれど心の整理など付いているはずが無い。必ず帰るのだと解っていても、それでも取り戻すまではどれほどの恐怖を抱えただろう。
不安ではない、これまで感じたことも無いほど心が揺らぐ恐怖。
その時、自分はどうなってしまうのかと思うだけで目の前が真っ暗になる。
今だからこそ、足元から這い伝う冷たいその感覚の名がわかる。







「恭弥さん?」

伸ばし、差し出したというよりは弱々しくあがっただけの手を支えるようにとったのは、暖かい、雲雀の手と比べれば小さな、けれど暖かな手。
少し力を込めれば、きゅっと握り返されるその手。
彼だけが呼ぶ己のファーストネーム。久々に聞いた気がする。
白一色視界だんだん開けて、部屋の様子を教えてくれる。息を一つ深く吐いて、力を抜くと身体がベッドにもう一度深く沈む気がした。
寝かされていたのは、ボンゴレの地下基地の一室。
幾度とひっそりとおとなった彼の、ボンゴレ10代目ボス、沢田綱吉のメインベッドルーム。
地下であっても陽光を模した人口の光が、本物の太陽光よりも少し目覚めたばかりの目を刺激した。


「つなよし?」

呼びかけたまま、次の言葉が続かない彼を訝ってそっと呼びかけると、きゅっと唇を噛み締めた顔が、落ちた前髪の隙間から見えた。
ああ泣きたい時の顔だな、とぼんやりと思った。
彼が泣かなくなったのは、いつからだろう?時折本音はlこぼすものの、その瞳から雫が流れ落ちたのを見たのはいつ以来だったろうか。
泣かないのではない、泣けなくなったのだと少なくとも雲雀は気づいていた。
そういえば、10年前の彼も、泣かなかった。
今頃、たまったものを吐き出すように泣いているだろうか?
そうならいい、今だから、出来ること、赦されること全てを、享受しておけばいい。
その時、傍にあるのは過去の自分であってほしい。が、それは時間が成就させる事であって、過程を経た今の雲雀には今振り返る過去でもない。

「…ごめんなさい………」
「うん。僕の気持ち、少しはわかった?」
「はい」
「嘘。こんなものじゃなかったよ」

いつの間にか両手で包むようにして握り締めている雲雀の片手を、そのまま額に当てる。
咎める声がした。
けれど響きが、いつに無いくらいに優しい。
ああ、甘えてばかりだ。
この手が暖かいことが、そんな当然の事がこんなに嬉しいなんて、こんなに安堵するなんて。
知っていたはずなのに。
漸く戻れたこの世界で、一番最初に迎えてくれた雲雀。
きっちりと着込まれたスーツの裾から、少しちらつく白い包帯が、余計に痛々しくて、手を伸ばした。
絡まった指先、そのまま身体ごと引かれて一瞬肺が潰れるような圧迫に襲われ、それを理解した瞬間、申し訳なさが先走る切なさと、そして薄暗い喜びを感じた。
武器を手に取る人にしては、痩身の骨ばった腕に苦しいほど強く強く抱きしめられる。

その腕から急に力が抜けて、預けられる身体の重みが増した時、背中を走る冷たい冷たい凍えるような鋭い感覚。
知らない。
これ以上の未来など、自分はしらない。
目の前が色すら認識できない色に染まっていくこの感覚を、きっと絶望と言うのだろう。
どうやってアジトに戻ったのかよく覚えていない。
気が付けば、ベッドに寝かされている雲雀の傍らに座っていた。
その寝息の穏やかさに、しばらく自失するほどに安堵した。
傷が開いたのと、それから連日の緊張状態と誰よりも不足していた休息、そんな中で急に心が緩んだからだろうと、軽食とお茶を届けてくれた草壁が教えてくれた。
綱吉が消えてから、ほとんど眠れていなかったらしいと。

「馬鹿だね、僕が簡単にどうこうなるわけないじゃない」
「毒にも、出血にも、平然としてるひとだって、ちゃんと人間なんですよ!あ、ダメです、ちゃんとまだ寝ててください」

起き上がろうとする雲雀を無理やりもう一度寝かしつけると、自分はベッドの横に寄せた椅子ではなく自分も柔らかくスプリングの利いたそこに腰を下ろした。
屈めば、雲雀の秀麗な顔を少し皮肉げな笑みが彩る。
大丈夫だと言う割りには、まだまだ白い顔色に心はどうしたって痛む。

「やっぱり君は変らないよね」
「――っと、ちょ!?」

両手を突いて覗き込むよな体勢だった綱吉の後頭部に手を回して、倒れこんでくる身体をやんわりと抱きしめた。
今度こそ、しっかりと。
そっと梳けば、気に入っている柔らかい髪から甘い香りがした。

「変らないと言われると、ちょっと微妙なんですが……あなたの方が変りませんよ」
「そうでもないよ、びっくりするくらい、君に変えられた。責任とってよ?」
「わお、どうすればいいんですか?」

髪を梳く手の心地よさに、とろりと溶けてしまいそうだ。
くすくすと笑うと、額に触れる吐息と柔らかいもの。じゃれる様に、そっと自分からも頬に返す。
そのまま、吐息を重ねるには何の確認も同意も必要がない。
背を撫でるというよりも、象り確かめるような手。
帰ってきたのだと、取り戻したのだと、確かめても確かめてもまだ足りない。
飽く事などありはしない。



「そうだね、じゃあ約束しようか?君は僕に、僕は君に―――」



解っている。
やがて分かたれる日がきっと来る。
お互い別々の場所で、別々の時。




それでも、いつかくる最期の時だけは互いの傍らで――――




何もかもを諦めても、きっと手放せない
それだけは、互いに思い知った。


ねえ、まるでプロポーズのようでしょう?