眼も眩むほどの幸福を、貰った。



「君の強さを知っているから…嗚呼、潰れてしまいそうだ――・・・・・・」







「ちゃおッス、雲雀」



深夜も煌々と明かりの灯った廊下を足音を殺して、目当ての部屋に身を滑り込ませる。
誰かに見つかって不味いことがあるわけではなかったけれど、極力それは避けたかった。

「なんだ、まだ元気そうじゃない」

その子供はいつもの様に珈琲を片手に、ソファに足を投げ出して雲雀を迎えた。
見に付けたスーツと、地下深く守られたこの場所のお陰か体調はそれほど悪くはなさそうだった。
・・・・良くも、ないのだろうが。

無機質な小部屋、赤ん坊が座っているソファの向かいに対の一客、ガラスのローテーブル、その上に散らばった紙片がいくつか見られる程度で、それほど使われているようにも見受けられない。
雲雀を呼び出すために、わざわざ奥まった部屋に出向いてきたのだろう。
皆が寝静まった時間に、独り。


「それで、話って何?」

単刀直入に切り出す。
長居するつもりはなかった、目だけで向かいのソファを薦められたが、ドアに背を預けて腕を組む。
まあ、そんなに焦んなよと一口手に持ったカップの中味を啜って、子供は口を開いた。
この子供は、雲雀の記憶の中で何一つ変わらない。
呪いだとかいう話を聞いたが、その辺りの事は正直どうでもいい。
ただ、リボーン自信が出会った頃からずっと雲雀の興味を引いてきた、それだけの事実。



「あれを鍛えてやってほしい」

ふぅん。
気のない返事を返しながらも、やはりねと、言外に匂わせる応えをしたのは意識の外だった。

「どう考えても今のアイツじゃ現状の打破は無理だろうからな。今更ちんたらやってる時間もねー、実地が一番だ。おまえにしたって、そんなに面白くない話でもねーだろう?」
「面白くない話でもない。ね、ずいぶん回りくどい言い方をする………確かに、彼の可能性は未知数、今…あえて10年後という言い方をしようか。10年後の彼でもそうなんだ、過去の彼も面白いかもね、それは認めるよ」
「…………」
「けれど、僕と彼との差は絶対的だ。分かってると思うけど、僕はあの沢田綱吉を殺せるよ、躊躇無く」
「ああ。かも、な……あいつは、まだおまえが欲しい物をもってねーからな、形としては」

すっ、っと一瞬空気が冷えた。
そうしたのは雲雀。指一つ動かさず、表情も崩さず、けれど目だけが先ほどとは違った光を湛える。
リボーンは気付いていながら、肩を竦めただけで軽く流した。

「ねえ、君。ほんとうに10年前から来たわけ?」
「ほんの何日か前までリング争奪戦してたんだ。耄碌したんじゃなきゃそうだろう」

小さな手でカップを弄びながら答える子供を見やって、雲雀は一つ息をついた。
10年、歳を重ねても結局この子供には手のひらで転がされっぱなしだ。


「この世界は君たちの未来で、そして僕たちの過去なのかな、それとも確かな現実?まったくの出鱈目、まやかしだって云う可能性もあるかもね」
「おまえにしちゃ面白い事いうじゃねーか」
「でも、僕はこれでも過ごしてきた10年をけっこう気に入ってるんだよ」


誰が知っていなくても、重ねた年月は短いものでは決してない。
まだ20と少ししか生きていないのだ、たしかにそうだろう。
けれど、この年月の重みと、積んできたもの大きさ尊さ、雲雀には掛け替えのないものをくれた時。
辿れば全て同じ場所に同じ人間に繋がっている。



今のこの時間は、イレギュラーだろうかそれともその10年に組み込まれていただろうか?
自身の一挙手一投足でまっすぐ進んできたはずの路は曲がり、枝分かれ、そして新たな路をつくるのだろうか?



「雲雀?」
「……そう、いいよ。今のところ動くつもりはないからね、いつでもよびなよ。君の狙いはわかってるボンゴレボスとしての覚醒を促したいんだろう?
おもしろそうだしね、乗ってあげるよ」

思いの他静かに掛けられたリボーンの声にそれだけを返して、一方的に終わらせた会話に背を向けてドアノブに手をかけた。


「すまねえな………」

ああ、随分と赤ん坊も切羽詰っている―――
その声音に、ふとそう思った。

「結局、未来をつくるのはいつだって彼だ――」

リボーンにというより、自分に言い聞かせるように呟くと振り返ることなく部屋を後にした。
何か考え込むようにソファに沈む子供を残して。





コツコツと、革靴が鳴るのを帰りは気にもせずに静まり返った廊下を歩く。

たぶん、あのリングを手にしてしまった時から、応接室で出会った時から決まってしまっていたのだろう。
そんな気がする、今なら。
勿論、運命や宿命じゃない。
それは自分の心。




「雲雀さん?」

いつの間にか立ち止まっていた廊下、顔を上げた先に綱吉が立っていた。
眠れなかったのだろうか、手に水の入ったグラスを持って。

呼びかけられた声。
覚えている彼の声より、高い子供のボーイソプラノ。
不快だとは思わなかったけれど、だけどやはり彼ではないのだということを突きつけられた。
自分を呼ぶ柔らかな声が聞きたいな……そう、思った。

すっと目を細めると、何を思ったのが顔を強張らせる。
その様子に、ふっと目元だけで笑う。
そうだね、その通りだ


―――彼はまだ、雲雀のほしいものを持っていない

雲雀を呼ぶ甘やかな声も
雲雀を満たす感情も
今の雲雀が守護するに足る力も信念ですら

何もかも



「おやすみ」
「――――え?あ、おやすみ、なさい」

一言、言うと同時に彼の脇をすり抜けた。




雲雀は考える。
彼が生き延びて、そして元の時代に帰ればまた何事もなかったかのように、自分の中の記憶の彼が戻ってくるのだろうか?
随分と……思っていたよりもずっと残酷な子だったんだね。
こんな未来が待っていると知っていて、いつもあんな風に笑っていたの?
僕の手をとったの?

そして、ここで自分が彼を殺せばその全てがなかった事になる。
何もかもをリセットして、この心をもって自身の心さえ自らで葬るのだ。
この手で昇華してしまえばいい――0は、無は、永遠だ。

ただ過去の自分が、あの頃漠然と描いていた未来を、少しの苛立ちと虚無感を抱えてそのまま歩めばいい。
どちらにせよ、彼のいない時間が横たわるだけ―――



「ねえ、綱吉、どうする?僕は僕の未来を守るために君を殺すよ?」



呟いた言葉に不相応な穏やかな響きは虚空だけが聞いていた。









もう未来に興味がない  だって独りだもの―――