かなわないと知りつつ、願った。



約束なんかじゃない



「あ、そろそろ着かれる頃だと思ってましたよ?お疲れ様です」


立ち寄ったボンゴレ邸。
屋敷の主のもとにやってきた雲雀の元に届いた朗らかな声。無意識に、頬が緩むのはどうしようもなかった。
いつも傍らにいる部下が、それを目ざとく認めてくすりと笑みを落とすのを視線だけで嗜めるものの、本気でどうこうと思っているわけではないことを彼ももう心得ているから悪びれた風も無い。
声の持ち主。
小柄な彼の背後の大きなガラス窓から差し込む朝の白い光に、目を細めるようにして雲雀はゆっくりとその部屋に足を進めた。
白く眩しいその部屋は、今日も穏やかさに包まれていた。


いつ誰に寝首をかかれるともわからない、誰が裏切るかも知れない、今日の味方が明日のそれとは限らずその逆もまた然り。
そんな日常で、身体よりも心が誰よりも成長してゆくボンゴレのボスに、雲雀が掛ける言葉は多く無い。
「随分と逞しくなられて」と古参の幹部が口に出す度に、先代や彼の家庭教師は少し目をそむける。
普段はそんな素振りすら見せることも無いだろう彼らが、雲雀の同席する席にでのみそんな行動を隠すように、しかし雲雀に見せるように。
何を期待されているのか、買われているのか、それともからかわれているのか。
なんにしろあの黒衣の子供や山千川千のあの老人の思考など雲雀の知ったことではない。
彼は彼のしたいように、彼のしたいことをさせてやるだけだ。
そして、その結果を雲雀が見届けることを彼は望んでいる。



細い若木がゆっくりゆっくりとその幹を太くしてゆくような成長ではなかった。
その細い幹に幾重にも蔦を絡め、蔓を巻きそして彼らが、あの少年を育てた家庭教師が想定していたよりもずっと早く、彼はボスらしいボスへと成長した。
この世界の不条理も、インモラルも道徳も何もかも飲み干す器を自身に課した。
結局のところ、それは彼の友人や心の傾ける周りの人間への配慮の果てではあったのだけれど。もちろん、それは雲雀にとっては面白くない事であったし、何よりも彼に差をつけられていくという憤りを感じもした。
まさに神の采配、とでも言うべきか。
先代は確かに的確に、次代を選び抜いた。
個人の情よりも優先されるべきこと、だれも非難などできない。

変わっていく世界
変わってゆく彼

だから、雲雀は何にも左右されず自分自身であろうとした。
ボンゴレの一部であるために、己を変革する事など絶対にしてやるものかと、意固地なまでに思った。
それが、彼が願っているこであると気づいても、そこは見ない振りをして。

何よりも自由であることが本能が命じる義務のようなそんな気すらして。
誰に望まれたわけでもなく、命じられたわけでもなく、そんな他人の手の内で転がされるような厭うものではなく、結局のところこれが『雲』として自分が選ばれた理由なのだと自嘲して、矛盾する思考に蓋をした。




雲雀自身のキャパシティーなど、たかが知れていて、そもそも多くを抱えられる性分でないことを、それこそ自身でよくわかっている。
組織という大きな枠をつくっても、そこの頂に座っているのは本人の意思というよりも、他者のそれである。
カリスマといってしまえばそれまでかも知れないが、雲雀個人はそれほどそこに固執しているわけではない。
随分と無責任に大きなものを抱えてしまったという自覚はあるものの、雁字搦めに縛られているわけではそもそも無いので、彼と同じ立場とは言えない。


「どうしました?雲雀さん」

執務室のソファに深く腰掛けて、視線は窓の外を物憂げに見るとも無く向いている雲雀に声を掛けたのは、大ボンゴレのボス。
雲雀を迎えたときはきっちりと着込んでいたはずの上着は、今は彼の背後の背もたれに掛けられている。
傍らに控えている自分の部下と、彼の3人だけの部屋。
いつも何かとうるさいボスの回りは今日は静かだ。

「……コーヒーより紅茶の方が好みなんだけど」
「微妙な間を持たせて、何もったいぶるのかと思ったらそんなことですか!!?寝てもらっちゃ困るんですよ!」
「何、そんなカフェイン神話を信じてるの?デスクワークといちゃつく人間が」
「いちゃつきたい相手がそれくらいしか手近にいないもんで、すいませんね!」
「ああ。それは失礼したね」
「はいはいはいはいはいはい。それじゃ、この調査結果はしっかりちゃっかりいただいちゃいます。ご馳走様です!」

いつまでたっても埒の明かない会話では何進まない、半ばやけにテーブルの上に置かれたファイルとチップを抱え込むと綱吉は吼えた。
綱吉から見れば左前方、目の前にさも自分の方がこの部屋の主ですなんて格好でくつろぐ雲雀の斜め後ろに控えている草壁が笑いをかみ殺しているのがばっちりと見えてしまう。

「あと、草壁さん。うちの研究室後で顔出していただけますか?何かと作らせたんですが、そちらでも使えるものがあれば持っていって下さい。話は通してありますので、今回の報酬はそれで、後はツケってことで」

ボンゴレが所有するボックスの情報の大半は雲雀がボンゴレにもたらすものだ、この時代において情報というのはやはり大きなもので、数時間の差が後々大きく開いてくる。
しかし、引継ぎで多少のごたごたがあった10代ボンゴレの諜報部が明らかに体裁を整えるのが遅れてしまったのは、今にしてみれば致命傷だった。
先進国家の秘密機関と比べればその先を何歩も上を行く技術は持っている、それくらいの者は揃えた。しかし、裏社会での情報戦を制するスピードと精密さそして技術で押し負けた。
そもそもそれに気づかされたのも、ここ最近なのだが。
もっとこの脅威に早く気づければ、もっともっとと責めた所で始まらない。
結局、そちらの方面にいつの間にか強くなっていた雲雀に頼らざるを得なくなった。
小さな島国の中でよくこれだけのものをと、あの先代や長老ですら目を見張るほどのものを雲雀恭弥という人間はいつも手にしていたから。





本当は
この人には、この人には、できるだけ―――……
小さな小さな望みは持っていたのだけれど。
不可侵協定、望むところだった。
けれど結局のところ、この事態は招かれた。

今、これほどに穏やかに時間が流れているのがうそのようにこの守られた執務室から出れば、殺伐とした空気がこの本部をも満たしている。
白い肌に浮いている隈からも察せられる様に、ボスたる綱吉もここ最近満足に休んでいない。
そういえば、心得たと頷いた後草壁は退室する旨を伝えて。2時間ほど、時間をいたただきます。とそう言うと音も無く部屋から出て行く。
その肩には、雲雀の愛鳥がちょこんと乗っていた。





「………何ですか、その無言のジェスチャーは」
「……話は終わったでしょ」
「あの…もっと、こう…無表情でそれって……いいですけど」


草壁を見送っていた綱吉が視線を戻すと、脚を組んだ雲雀が自分の隣をポンポンとたたいている。
その意味が分からないほど馬鹿ではない。
しかし、何でこうも尊大なのだろうこの人は。

渋々といった顔を作りながら隣に腰掛けると、身構えるよりも先にシャツの襟首をつかまれて引き倒される。
ちょうど、雲雀の組んだ脚の腿に頭を打ち付けられながら、ふわりと舞い上がった香りに目を細めた。緑の、風のにおい。
どんなにタバコや葉巻の煙の濁った人間の中にいても、どす黒く沈んで淀みきったものの中でもこの人はそんなことを感じさせない、いつも違う空気を纏って、違う香りを纏って、染まらないこの人が羨ましい。
心底。

「あなたは…かわりませんよね」

くすくすと漏れる笑いが止まらなかった。
おかしい訳じゃない、幸せで、少しほんの少しだけ哀しいような気持ちになっただけ。
でも、それすら必要な愛おしさ。
いいのだと、何も言わないくせに優しい温もりに目をおおわれる。
じんわりと目の奥から気道を通って肺を満たすこの安堵が、直ぐに指先まで広がってゆく。


必要だった、だから手を伸ばした。
駄目だと分かっていたけれど、あちらが手を差し伸べてくれればそれを振り切る強さも弱さも持っていなかった。
いつだって、知らず差し出されるものに救われてきた。
いつだっていつだって。

だから甘えられた。


「そうだね。君の守護者になってこんな土地に足繁く来る程度の変化しかないよね」
「雲…ですか……」
「君の、守護者だよ」
「雲は…雨や雷や嵐や晴れを…呼んでくれるでしょう?」
「やだ」
「言うと思いましたよ……」
「君は……」

そっと、添えられていた手が瞬間緊張したのが綱吉は分かった。けれども、綱吉は黙って彼の言葉を最後まで聞く。



「君は、思うようにやればいい。見届けてあげるよ、ただ、それだけだ」

強張った手に、こみ上げるものが無いといえばうそになる。
いつも、いつも甘えてばかりだ。何も聞かれないから、本当に聞きたいことをこの人は自分から問いただそうとはしない。
それは大きな優しさであり防衛本能に似た弱さだと綱吉は知っている。
けれど、同じことはきっと自分にはできはしない事を何よりも分かっているから、無性に泣きたくなる。
離れた場所で、声を聞くのも触れるのも数週間数ヶ月当たり前、こんなぎりぎりの関係を保っていられるのだって、そう。
踏み出しても、引いても壊れる。
それが至高だと分かっているから泣けない。
自分を守って部下が倒れた事を、保身のために誰かを犠牲にしたとか、恋人、親の、子供の仇と詰られたことを、吐き出すように懺悔する様に泣くことはできるのに。
この関係のぎりぎりの線。
それに甘えてきたのはお互い。
けれど、きっとその関係を何よりも狡猾に利用してきたのは…利用するのは、自分だ。

「恭弥さん…俺ね、少し出かけますから……」

重くなってきた瞼、まだどうにか浮かんでいる意識を集中して声を絞り出す。
囁くような声も、雲雀はちゃんと聞いてくれているはずだ。


「だか…ら、帰ってきたとき…は。貴方が、いち、ばん…に……」


その時、どんな風に自分たちはなってしまうのだろうか。
彼は怒るだろうか?
そうだ。
彼が声を荒げたのは、抗争に巻き込まれた子供をかばって怪我を負ったとき以来一度としてない。
その時以上に叱られるだろうか。
そうだったらいい、そうだったらうれしい。
気遣うようなものではなく、彼自身の憤りを何もかもをぶつけてくれればいい。


―――― 一番に、貴方が迎えに来てください


一方的に取り付けた約束。
こんなずるいやり方でも、守ってくれると知っているから。
決して違えないと知っているから。
こんなにもずるくて残酷な言葉を己は吐ける。






穏やかな寝息を聞き取って、知らず詰めていた息を吐き出しながら雲雀は自身も目を閉じた。
指先に触れる髪を梳きながら、ゆっくりとまた深く息を吸う。








「なにそれ?いつものことじゃない」



ボスの唯一の我侭でいつまでも直らない悪い癖。
誰にも黙って外歩きして、取り巻きをパニックにして
それで、それをいつも見つけるのは雲雀。





ただ、今回はそれが少し遠いだけでしょう?





願いなんてものはもっと難しいものに手を伸ばすことでしょう?