枯れ果てるほど、涙を流した。



今零れ落ちたものだけは 君に捧げてあげる




「―――っ……」

鮮やかな陽光の残滓がまだきつい時間、壮麗な石造りの建築物を雲雀は見上げた。
目を守るように手をかざして、眩しさとは別のもに目を細める。
望めばなんでも、その手に出来る力を持っているくせに、自分の為にはその欠片ほども使わない、待ち合わせ相手を思って短く息をつく。



ローマとフィレンツェを結ぶ幹線沿上にあるこの町はオルヴィエートといった。
切立つ断崖の上に建つ小さな、しかし、遠い昔自然の城塞都市として栄え、今も町並みに中世の面影を色濃く残すその場所。
凝灰岩の上に夢のように広がる亜麻色の建物。
青い空とオリーブの緑に彩られた御伽噺のような、そんな夢のような町並みを雲雀は車のパワーウィンドウを若干下げて高速道路から認めた。
母国ではありえない風景。だからだろうか、彼はこういったヨーロッパ独特の景色を好むように振舞う。
もうすぐ、この風景も黄昏に染まる。
風圧で煽られる髪を気にするでもなく、ハンドルを握りなおすとアクセルを更に踏み込んだ。
といっても、朝から常にトップギアアクセルはベタ踏みではあるのだが。
雲雀がイタリアに入ったのは今日の朝、ミラノ経由でそのままシチリアに飛ぶつもりだったが、数日前に予定を変えた。
ボンゴレ所有のミラノの屋敷のひとつから、車をかっぱらいに立ち寄ったその時、丁度見計らったように本邸に居るはずの黒衣のヒットマンから連絡が入ったのはたぶん、偶然ではないだろう。
曰く、とんずらしたボスを簀巻きにしてつれて来い、と。
そもそもこれから、そのボスと会う予定ですだなどと言えるはずもなく、ああ、これは今日中に返せと言うことなのだろうと溜息をついて、今まで走り通し。ミラノからなら、500キロ程度だろうか?
なぜ、自分はこんなバカバカしいドライブを独りでしなければならなのか。独りの件はまだいい、しかし今日中に返すもなにも明日の朝には、雲雀自身がイタリアを出なければならない。なんなのだろうか、この強行軍。
よくもまあ、こんな場所を指定してくれたものだ。
そう、このイタリアで最も美しいドゥオーモと呼ばれる聖堂のあるこの町を、彼の青年はいたく気に入ったらしく時折ここを訪れていた。
しかし、たった一人でここまでの遠出などこれまでなかっとというのに。
マフィアのボスが何を勝手なことをと思わなくも無いが、立場や今の情勢を弁えていない訳ではない事を知っている。
何か、心にざわつくものを感じながらそれを振り切るように、目的の場所に急いた。





大聖堂の前、開けた広場にはもうこの時間になると観光客の姿も見えない。
閉館時間なのだ、いつもならば。

雲雀はそのまままっすぐに、乾いた石段を革靴を鳴らして登りきると、躊躇い無く聖堂の扉を開いた。
天高く抜けた天井を一瞥すると、フレスコ画や彫刻には目もくれずにまっすぐに祭壇へ歩を進めていく。
時間を決めて待ち合わせたわけではなかった。
日付と抽象的な場所を指定したメールを彼が寄越してきた。
ただそれだけ。
行くとも行かないとも言わなかった。
返信すらしなかった。

けれど、彼がその場にいることを確信している自分を自嘲した。
彼は此処に来ている、まだこの場所に。


―――疑いようもない。
彼が、自分がこの場所に来る事を疑いもしないように




「もう来てくれないのかと思ってましたよ」

祭壇前の椅子に掛けた青年が振り返りもせずに口を開いた。
あはは、と楽しそうに、思ってもいない事を口にする。

「僕も忙しいんだよ明日の便でローマからニューヨークに行かないといけないんだけど?」
「すいません。これから、忙しくなりそうだったので、その前に貴方とここに来たいなーなんて唐突に思いつたもので」
「君ね…。で?」

何かあったの?と言外に滲ませた。
軽い口調で返したが、実際はかなりの無理をして時間を裂いた。本邸にまでは、顔を出せるかどうか微妙なところだが、行かないわけにはいかないだろう。
しかし、そのくせ、大して急かすでも無く隣に腰を下ろして、静かな時間をしばし共有する。
今日は彼の目を見ていない、その事が胸の奥のざわめきをまた刺激する。
雲雀は自分の直感を信じている。
ボンゴレブラッドが齎すようなものではないが、動物的なものを自分の経験と擦り合わせて導くもの。



「彼方は、奇跡を信じてくれますか?」


――神なんて、ものは俺ももう信じてないですけど



彼は問いにはこたえない。
そうだろうと思っていた。
空気を傷つけない彼の声。この場所で、微かな反響を残して響くこの声を聴くのが好きだと思った。


祈りの場所。
過去も未来も現在も何もかもを内包して、ただ静かに佇む場所だからこそ彼はここを何度でも訪なう。
何もかもがあって、何も無い場所と時間。始まりと終わり、富も貧も向き合って突きつけられる。

分っている、彼は何かに縋りたいわけじゃない。
弱くて何も出来ないと卑下しつつも、自らの…組織の業ですら背負う覚悟がある事を雲雀は知っている。
そうならざるを得なかった過去を、環境を、知っている。
自分だけで背負い込む強さと、弱さを身に付けた。
これは、何の意図もない純粋な問いだ。
雲雀に投げられたものでさえない問い。

許しがほしいわけでも、遥かな過去を悔やむでも羨むでも無く。まして、居もしないものにすがるでも無く――
ただ自分と向き合う。
この時だけは余人の干渉を酷く嫌うくせに、雲雀にはこうやって隣に座る事をゆるす。


「信じるもなにも、今僕がここにいることがいっそ奇跡だと君は思わないの?これがそうだというのなら、それを起こしたのは君の力だ、不確定な偶然じゃなくて、いっそ必然にも似た君の力だ。そうじゃなきゃ、僕が面白くない」

今、この目の前にあるものだけが自分の現実。
不確かであやふやな存在になどすがらない。
誰に何を許される必要がある?
上から見下ろす存在など雲雀は決して認めない。敗北を認めてやるのなら、目の前の彼にだけだ。
それいじょうの何が必要というのだろう。
ただ、自らがあるがままに添える空があればいい。
それを知っている自分がいればいい。

この現実も、想いも、自分だけのものだ。


「そうですね、みんな自分しだいですね。…でも、彼方からそんな台詞聞けるとは思いませんでした」
「たまにはね。僕だってリップサービスくらいしてあげる」

くすくすと楽しそうに笑う彼。
ふと、思い出したようにジャケットの内ポケットに手を入れて何かを探り出した。
その仕草に、感じていた違和感に「何か話でもあるの?」と問う事が出来なかった。
雲雀との会話のまを既に知り尽くしたような行動。


「これを、渡したかったんですよ。可愛がってあげてくださいね」
「ボックス……ね」
「ええ、気に入ってもらえると思いますよ」


漸く目を合わせてふわりと笑う。






――――――ねえ、ひばりさん


ふいに、耳朶を打つ声が柔らかく響いた………。










「――――………」

窓辺に寄せた椅子に寄り掛かった身体をけだるげに動かして身体を解す。
うっすらと白み始めた空がレースのカーテンから覗く頃。
あれは、いつの事だろう?
ああ、そう。きな臭い動きがあるのだから、ボンゴレのボスが独りで動くのはやめな、と、らしくも無く言った覚えがある。
ほんの数ヶ月……数週間、前。

床に目を落とせば電源を落とした携帯が無雑作に投げ捨てられていた。
あれが最後に着信を受け取ったのは日付変更線を3時間ばかり越えた頃。
非常識な時間に、と怒る気はしなかった。
誰も通さずに雲雀に直接掛かってくる電話、その番号を知るものは少ない。
ディスプレイに表示された名前を一瞥して、一瞬震えた自分の手を嘲笑う。


何もかも望めるくせに、何も望まない子
何をも許されるのに、自らには何も許さない子



こんな時間に連絡なんて、電話なんて――― 

一度だって君からはなかったじゃない?
『沢田 綱吉』と、彼のフルネームが着信を告げるディスプレイ。







―――――――――――――― 君の死を伝えた声は誰だっただろう ?





『すべてが自分しだい』

そう言った。
目を細めて頷いた。
なぜだろう、もう懐かしいような気さえする。


悲しむことも、絶望する事も何もない。
ただ、望むまま雲の様にあればいい。
分っているはずなのに、ただ心が酷く冷えてくる。
残像のような月明かりの中、小さな箱を握り締める手の力を抜く事だけが出来ないでいた。


賽は投げられた。賽を振るのは君、そしてゲームをするのは―――自分たち。
そして、君は敵の盤のキングを狙う最強の、駒。
ひとつのミスすら許されない。
そうでなければ、君は戻らない。

そう、永遠に。



ねえ、君の声が思い出せない――――

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