それすらも、愛しき日々よ







「先輩……ごめん、なさい」
「何が?」

 稲羽市を去る前の最後の思い出作りにと、一泊二日でスキー旅行を提案してきたのは花村だった。
 当初の予定日を風邪で寝込んでしまったのは自分だったが、期末考査も終わった今、楽しい事だけを考えて遊べるのだから結果的に良い日程だと皆笑ってくれた。
 来年に繰り越す事も出来たが、自分たちは受験真っただ中だ。
 どうしても今皆で出掛けたいと、陽介が一度はキャンセルしたペンションに掛けあって日程をずらしてくれたのだと言う事を里中千枝経由でこっそりと聞いている。
裏で何かと気を回してくれている親友には、本当にいくら感謝しても足りない。


「何って……」

 ゲレンデを見下ろしながら、リフトの上で突然りせが口を開いた。
 周りに人の気配は無い、おそらくこの機会を伺っていたのだろう。
 前後のリフトには確かに乗客はいるが、少し風も出てきた今会話が他人に届く事は無いだろう。
 他人、それは仲間たちも全てをひっくるめて。
 りせは、この会話を他の誰にも聞かせるつもりがないようだ。
 リフトの下は原則立ち入りは制限される。安全ネット越しにキラキラと輝く白銀の雪を見下ろしながら、何やらブラブラと足を揺らしていると思っていた矢先に。
 くっと気合いを入れて、彼女は此方を見上げて来たのだ。
 何事だろうかと気構えた分、開口一番に謝られた事に拍子抜けした。
 一瞬、きょとんと眼を瞬かせたものの謝罪の内容もすぐに理解する。

「そんな事、気にしてたのか?」
「わたし、そこまで無神経な子じゃないもん!」
「うん。知ってるよ」

 天真爛漫に見えて、それでいて彼女は誰よりも他人の機微に敏感だ。
 人によって態度を変えるような事はしないが、もともとそういう気質はあったのだろうが、アイドルと言う環境がいっそうこういった事には敏感にさせたのだろう。
 花村とは違った気遣いが出来る娘なのだという事は、良く解っている。

「先輩は、よかったの?」
「りせと一緒が嫌な訳ないよ」
「ほら、もうちゃんと解ってる癖に!別にいーの、そんなリップサービスとか」

 むくれた横顔に、素直に応えれば返ってきたのは沈んだ溜息だった。
 普段の天真爛漫な姿とは裏腹に時折達観した大人の態度を見せてくるところが、この少女のこわいところ……強みなのだろうと苦笑を返すと、目を眇めるといったアイドルらしからぬ表情を作る。

 答えは、お気に召さなかったのだろう。
 あまり触れてほしくはないなあと思ったのも事実。
 勿論、こういったかわし方が通用する相手だとも思ってはいなかったけれど。


「……今更、こんな話切り出してわたしもズルイなって思うけど」
「率直に言って面白くはないね」
「だよね」

 別にりせに対してどうこう思うところがあるわけでもないのだが、自分からこの話題を振っておいてしょげた様子を見せられると、随分な仕打ちをしてくれたという気持にはなる。
 実際のところ、誰に対してぶつけていいのか分からない憤りは蓄積していたけれども――。


「で、りせはどこまで知ってるの?」
「先輩と直斗が付き合ってるってことくらい?」
「わかった」
「あっさりしてる……。その上でこんな事やってるんだから、酷い子って思ってもいいよ?」
「もうすぐ転校しなくちゃいけないって時に、この絶好のスキー旅行なんてチャンスを、つい最近漸く交際までに発展した彼女とは別行動で、あまつさえその彼女は他の男と二人きりマンツーマンでスキー指導って現状は、まあ成り行きだし不可抗力だし、しょうがないと思ってるけど」
「めちゃめちゃ気にしてるじゃん!!」
「気にしてなかったら、それはそれで問題なくないか?」


 その上、自分は彼女とは別の女の子……りせと二人でいるのだから両成敗だと言われてしまえばそれまでだとも思う。
 ただ、無理やり納得させた事を指摘されると、どうにも事実を並べただけで物言いは辛辣な響きをもってしまった。

 スキー旅行までは、流石にバイクを出すわけにもいかずバスを使っての移動にした。
 その際、後ろの座席で一年生組とクマが4人で何やら和気藹々と喋っているのは気づいていたのだ。
 雪子と千枝は華やかな笑い声をあげている。
 自分の隣りは花村が居りやはり、二人でぼんやりといつも通り会話をしていた。
 その時、『僕、スキーは初めてなんですよ』と声が聞きとれた。
 付き合い始めたばかりの、恋人の声――。
 ……ああ、そうなのか。
 確かに、必要に迫られない限りそういった事に興味は持ちそうにない、インドアな子だなと率直に思った。
 白銀の世界に佇む姿はよく映えるだろうが、そもそも冷え症持ちの寒がりである。
 雪明りが差し込む部屋、暖炉の前で本を開く事を好む子だろう。
 ふっと息を漏らすと、その気配だけで察した隣りの親友が呆れたような顔をするものの、気にはならない。
 幸せそうで何よりですと、半ば呆れた目に余裕ぶって視線をくれてやるとあからさまに嫌な顔をした。

 気付いている者は気付いているだろうが、まだ誰にも付き合い始めたとは告げていない。
 直斗への好意に早くから気付いていた花村はともかく、りせや雪子に千枝にしてもそれなりに何かを察していただろうから、必要ないのかもしれない。
 ただ、暗黙の了解というのもこの場所を去る自分としては嫌だった。
 遠く離れてしまう分、何かと鈍い彼女のそういう方面のガードの甘さに気を揉んでいた身としては、皆が無意識にでもそれを気に留めるように……などと打算もあった。
良くも悪くも、気が回る二人がいる。
 あわよくば、りせや花村などが校内に牽制代わりの噂でも何でも流してくれれば儲けたものだとも考えた――。
 手を繋いで登下校だのと分かりやすいパフォーマンスなら、いくらだってやってやるが何しろ相手がそれを簡単には是としてくれないだろうことも織り込み済みで。

『いい機会だから、旅行の時でも皆に話そう?』

 彼らに秘密を作るのも嫌だと、そう言ったのも勿論嘘ではないけれど。
 持ちかけると暫く渋いかをしていた恋人も、最後には小さく頷いた。


「おー!直ちゃん始めてなんクマねー、クマとお揃いクマ〜!」
「オメーは大抵の事初めてだろうがよ!」
「えーカンジーが言うとなんか、ヤラシークマ」
「おい、てめぇシメッぞ?!」
「もう、二人ともうっさい!!」
「まあまあ……りせちゃんと巽くんは、経験あるんですよね?宜しく指導お願いします」

 彼女なら、そう言う。
 いや、誰だってそういう発言はするだろう。
 他意も何も感じなかったし、こんな言い方はしたくはないがこれまで周りに集まってきた同級生ですら、バッサリと切り捨てていた直斗の社交辞令としては上々だ。
 安心しきっていたんだと思う。
 失念していたとも思う。

「初体験のクマわぁ〜、教わるならりせちゃんがいいクマ〜〜!」

 それまで、隣りの陽介の話しに相槌を打っていたがここにきて背後の会話の雲行きに意識をひっぱられ始める。
「おい、お前らギャーギャーうるせーぞ!」
 何より陽介が自分の事でもないのに妙な焦りを見せていて、一番気に留めなくてはならないはずの自分はといえばどこか他人事のように、背後の会話を聞いていた。

「えぇークマぁ?別にいいけど……。じゃあ直斗くんは、完二に教えて貰いなね?」
「――え?え……っと」
「お、おおぃっちょ―――おまッ…!!何勝手に決めてんだよ、んな事ッ!!」
「なに、完二?嫌なの??」
「い、イヤ、っとかそ、そんなこたぁ」
「いえ、良いんです。巽君だって久々のスキーですよね、初心者の面倒なんて申し訳ないですし」
「お…おお、よしよし。直斗!俺が……俺たちが教えてやる、な?相ぼ――」
「花村先輩はボードでしょぉ!」
「いや、だから旅行は二日ある訳だし、コイツはスキーやるって言ってるし、それからぁなあ…、あ」
「――て、やる!」
「は…?っちょっと、完二お前」
「教えてやるよ!帰るまでにはバッチリ滑れるようになるまで、鍛えてやるからそのつもりでいろよ!!解ったか!!?」
「えっと、―――はい……」
「ちょっと!何騒いでんのーうっさいよ。周りの皆さんに迷惑ぅー!」
「千枝も声、大きいよ……」


「おい……お前…………」
 呆れた顔の花村が、疲れた様子を隠しもせずに後方へ捻っていた身体をシートに沈めた。
これでもかと言う程眉間に皺を作って、視線を寄こしてくる。
 今回は流石に居たたまれない。
 我ながら格好悪いなあと思うのだ……思っているのだこれでも――。

 何を期待したのだろうか。
 例えば、これがりせであったら『私、教えて貰うなら先輩が良い!!』等と臆面もなく言い放ちニコリと笑っただろう。
 直斗は……自分の恋人はそんな事を言える性格ではない事を重々承知していた。
 その上で、彼女にハードルの高い要求をしたのか――。
 仲の良い後輩組の会話に割って入る大人気の無さ、無駄なプライドが邪魔をしたのだろうか――。
 だって、ごくごく普通の会話をしていたではないか……完二の、直斗への好意を知っていなければこんな風に掻き乱されることは、無かったと言うのも事実だけれど。
彼女に対する好意を自覚した時、もしかしたら彼女に付き合って怪盗Xを追っている時から、後ろめたさは少し付き纏った。
 しかし譲れるような感情ではないのだから心底悪いと考えてはいない。
 そんな事、完二に対しても直斗に対しても侮辱になる。
 結局は、直斗が選んだのは自分であったという優越感だったのか――……。
 綯い交ぜの感情は一つに収束しないけれど、見つめていて気持ちの良いものではない。
ただ、その時は思ってもみなかっただけだ。

 二人きりと言ったって、頂近くの斜面でもない限りゲレンデでは常に誰がが居るし指導という名目だってある。
 テレビの中の世界で、ペアで行動する事だって有るにはあったし、学年が同じなのだから学校も然り。
 自分の為に計画してくれた旅行ではあるけれど、今この時最後の経験。
 皆にしてもそれは同じ。
 離れていると言っても、直斗とは彼女の実家への帰省やその他所用にかこつけて会えると聞いていたから。
 少しだけ、別離の寂しさも和らいでいた………。
 だから、平気だと思っていた。

 こんなに自分を掻き乱すなんて事、大誤算だ。



「ねえ、先輩。聞かないの?気付いたでしょ、私がこんな風に持っていったの」
「聞いた方がいい?」
「ズルイよ、そういう切り返し。先輩が私の事とか悪く思ったりしないのは、解ってるの。でも、後味悪いのやだなって。花村先輩とか泳いだ目で私の事見てきたよー」
「だな」
「うん。あのね、先輩が直斗くん指導に付いちゃったら、私達と遊んでくれなくなるじゃん!」
「否定できない」
「えー!正直だよねー『そこは、そんな事ないよ』って言うとこじゃないの?」

 隣でカラカラと笑う少女の声が谷間に響いた。
 りせが言う様に返しても良かったが、この時にそういう返答は好まないだろう。

「ぅー、もう!そんな正直だと、『黙ってお付き合い始めたペナルティーでぇーす!!』って楽しく宣言できなくなるじゃん」
「………」
「そんなヌルイ顔で肩落とさないの!だって、どうせ今晩宣言するつもりなんでしょ?ま、タテマエ、フリーの先輩は、私が一人占めしちゃった訳だけど?役得ってやつだよねー」
「直斗取ったから怨まれてるんだと思ってた」
「なんでそこで、先輩取られたからって解釈になんないの?」
「違うのか?」
「違わ、ないけど……。イーの!!私達は女の友情育むからいーんです!先輩のそゆとこキライー!」
「酷いなぁ」

 ぷぅと頬を膨らませるりせを宥めながら前に目をやると、もうそろそろゲートが見えてきていた。
 今の時間を考えるなら、ここまで登ってこれるのは最後だろう。

「まぁ、これから毎日気を揉まなくちゃいけない日が来るんだもんな」
「先輩?」
「いや、ごめん」
「………あのね、今日あのバ完二だよ!?そんなんで、ホントに大丈夫?」
「大丈夫じゃなくなったら戻ってくるよ」

 確かに。ほんとうに、大丈夫なのだろうか。
 ふっと笑うと、りせに向かって悪戯っぽく笑ってやる。ただし、若干孕んだ本気を、彼女が見逃すはずがなかったが――。

「――じゃあね先輩、ここから降りたら真っ直ぐペンション戻ってね?」
「は?」

 会話の脈略が理解できない……。
 リフトはいつの間にか折り返し地点。これ幸いにと、会話を続ける意思がないりせが立ち上がり、軽い身のこなしで体制を整えていた。

「じゃあ、センパイ!また夜にね」

 ひらひらと大きめの手袋がはめられた手を振ると、彼女は鮮やかに斜面を下って行った。










「――――なに、してるの?」
「あれ、先輩?」

 結局、まだ少し早い時間ではあったものの、これ以上滑る気にもならずりせに言われた通りにペンションへと戻った。
 板をペンション隣の小屋に片付けに行き、着替えた後温かい飲み物でも啜りながら皆の帰りを待っていようと考えていたその時だった。
 建物の脇に、見知った姿を認めたのは――。
 彼女も、こちらに気付くとさっと立ちあがって何か不自然にも思える仕草で、何かを背後に隠すように――。

「皆さんまだゲレンデにいらっしゃるみたいですけど、どうされたんですか?」
「どうって、直斗こそ。教わってたんじゃないのか?」

 完二に……とは、喉が引きつって声に出す事が出来なかった。

「初心者なので、ちょっと足にきてしまって……先に上がってきたんです。巽くんは花村先輩と合流してると思いますよ」
「……そう」

 りせは、これを知っていたに違いない。
 そういえば、リフトに乗る前に何やら携帯を覗きこんでいた。
 相手が花村陽介だとしたら、暫くは誰も戻ってこない―――。
 ある程度は機嫌を損ねていると察していた様だし、その程度の気は回して貰いたい。
 これで今日の所はチャラにしてやってもいい、だなんて我ながら単純だ。

「脚はいいの?こんな寒い所に居ないで、中に入ればいいのに」
「いえ、大丈夫です。テレビの中で走り回ってはいますけど、スキーなんて普段使わない筋肉使ってちょっと疲れただけです」
「まあ、筋肉痛は少なからずみんな出るんじゃないかな」
「あはは」
「少しは、滑れるようになった?」
「え、えっと。すこし、だけですけど……」
「直斗、そこまで運動音痴って訳でもないし、明日一日やればそこそこできるようになるよ」

 何時からこんな所に居たのだろう。
 手は何故か素手だし、荒れるほど降ってはいないが風に乗ってちらつき始めた雪が帽子に積っている。
 距離を詰めると、何故か肩が跳ねた。
 そんな些細な仕草が、張りつめてばかりだった琴線を引っ掻いたが見ない振りをして手を伸ばす。

「あ、そんなに積ってましたか」
「何時から居たんだ?中に入ろう、寒いの苦手だろ」
「先輩は、良いんですか?その……」


 りせ……ちゃん、と

 消えそうな声だった。
 ともすれば、聞き漏らしていたかもしれない。
 伸ばせば手が届く距離ではあっても、漸く聞き取れた程度だ。
 帽子の雪をポンポンと払ったてが、そのままそこから動かせなくなった。
 嗚呼――。
 その、可能性は、ちょっと―――嬉しい誤算だ。

「…………妬いた、の?」
「え!?や、やいた、とかそんな、そんな事じゃ、なく…て」
「違うの?」
「……………う」

 あたふたと慌てて、顔を真っ赤に染めて実に可愛らしい態度で黙り込む……ではなくて、非常に難しい顔で眉根を寄せて考え込むような素振り。

「皆さん大切な仲間で、勿論それはりせちゃんも当然含んでいて、だって僕よりあんなに先に仲間に……仲良くなっていたくせに、今更とか……いえ、そんな事考えて……たとかじゃなくて、でもやっぱり、今先輩はりせちゃんと二人で居て、何話してるんだろうとか、何してるんだろうとか、気にしてしまってましたけど、僕は先輩のものですけど、そんな一人じめなんて我儘言えないですし、それに…」
「違うのか。俺は妬いてたけど」

 目の前で、ぶつぶつと思考をリプレイしてくれている。
 なにやら途轍もない殺し文句が潜んでいたが。
 これは、後にする。
 彼女が他の女の子と比べてどうとか、可愛くないだとか、自分が彼女に告白した理由だとか、そういう事をやたら気にしている事は知っていた。
 けれど、良くも悪くも近過ぎて……自分のことは棚に上げて……仲間内、雪子や千枝や、りせに対してそう言う風に思うなんて、考えなかった。
 信頼されているし、信じても貰っている。
 それは確かだけれど、しかし感情は手の届かない別のところで動く事を自分だって今日、身を持って知ったではないか――。
 もしかしたら、これまで不安にさせた事は何度もあったかもしれない。

「はい?―――っ…っちょっと」
「うん、別に直斗の事信じてないとかそんなんじゃないけど。他の男と一緒だってだけで、面白くなかった」

 面白くなかった――と一言で片づけるには大層黒い感情が渦巻いていた。
 そこまでは言えないけれど。
 ああ、今この緩んだ顔を見られたら窘められるなぁ。
 そんな事を思いながら、思わず抱きしめた。

「………あの」
「うん?」
「ほんとは――」

 先輩に教えて貰いたかった、です……。


 これだから、困る。
 こんなに可愛い恋人を残して、この街を去らなくてはならないのかと思うと気が遠くなる。
 ぎゅっとしがみ付いて、耳まで真っ赤にされてどうしたらいいと言うのだろう。
 どうしてこんな分厚いウェア越しなのだろうか?
 りせに、『大丈夫なの?』と聞かれたが、本格的大丈夫じゃなくなりそうで怖い。
 先ほどとは、違った昏い感情がひたひたと足音を立てて背後に迫っているのを感じた―――。


「あのさ、所で直斗」
「はい?」
「後ろのフロストが、大惨事なんだけど……」
「え、ええええ!?っちょっと、見ないでください、見ないでくださいーーーー!!」

 せり上がってきた想いを振り払う様に、視線を上げて……上げ掛けて。
止めた。
 抱きしめる小さな身体の向こう側。
 雪があるのは当然だ。けれど、その不自然な塊は―――

「相変わらず器用だな」
 
 グッと身体を押し返す力など、何の妨げにもならない。
 上手く交わして、脇をすり抜けると彼女が必死で隠していたものの前に屈んだ。

「もう……」

 今度こそ顔じゅう、耳まで真っ赤にしてぺたりとへたり込んだ直斗の様子に微笑んでまたそこに目をうつす。
 見事としか言いようがない、フロスト人形がそこにあった。
 それだけではない、作りかけのジャックランタンの隣に、キングフロストとスライム……スライム?
 自分の部屋に飾ってあるフィギュアよりも、少し小ぶりの雪像は直斗が作ったものに他ならない。
 足元に落ちていた小枝で削ったのだろう。隣に直斗の手袋が重ねて置いてある。
 造形は完璧だし、削った後もツヤツヤに磨かれていてこういった事は本当に凝る子だ。
 フロストの首が転がっているのは、先ほど抱きしめた時に直斗の足が当ってしまったからだろうか。

「変に集中してしまって……笑ってもいいです、よ?」
「どうして?凄いと思うよ、俺なんか精々菜々子にクマの雪だるま作るのが精一杯だから」
「うぅ」

『ヤキモチ妬いてくれたの?』と聞いた時より遥かにモジモジと恥じらう姿がなんだかな ……いや、そんな事を思わない訳ではないが、しかしちょっと嬉しい。
 全て、もう一人の自分だ……じぶんの、ペルソナ…
 他メンバーのと比べて造形が簡単だから、などと言われると落ち込むので言わない事にしたけれど。


「作った後は、壊してしまえばいいと思ってたんですけど、どうしてもできなくて……」

 ずっと素手で雪に触れていたのだろう、真っ赤に染まった手でそっと転がったフロストの首を拾い上げると丁寧にまた接着してゆく。

「この子たち、可愛いですよね」
「直斗は、もっとロボっぽい方が好きかなとは思うけど」

 ぬいぐるみや人形よりも、ロボットや車が好きだったと言っていた。

「それは、そうなんですけど……」
「けど?」
「先輩、何でもできるじゃないですか?人望なんかは勿論、頭だっていいし、運動神経も僕なんか到底及びませんし」

 恋人から褒められると悪い気はしないが、自分はどこまで彼女の中で万能だと思われているのか。
 精々十年と少ししか生きていない。
 そうありたいとは思っているけれど、直斗が思うほど人間できていないのは自分が一番解っている。

「でも、こういう可愛いのも先輩なんだなって思ったら、ちょっと安心してしまって」

 そんな事考えながら遊んでたら、今りせちゃんとどうとか……みたいな事考えずに居られて。
 照れ隠しの苦笑。


 どうしたらいいのだろう。
 これから、どうしたらいいのだろうか……。
 こんな不安な心を抱えて、不安定な情緒を押さえこんで。


「何でも、できる訳じゃないよ。万能じゃないし、直斗が思ってるほど大人じゃないし、こういう丸くて子供っぽい人形みたな面もあるみたいだし」

 そっと、直斗の隣に移動して腰を下ろす。

「話せない位昏い感情だって飼ってる。今日みたいな些細な事で、焼いたりもするけど失望しない?」
「じゃあ、僕も同じくらい醜い部分を先輩にぶつけますけど、嫌いになったり、しますか?」
「しないね」
「僕だってそうです……え、冷たいですよ?」

 真っ赤になった、冷え切った手を手袋を外して握り締めた。

「だからですよ」

 そっと息を吹きかけて温めると、頬を染めてくすぐったそうに身をすくませる。
 それでも振り払われないから、嫌ではないのだろう。
 自分の頬を挟むように添えさせると、流石に手を引っ込めようとしたが、許さない。

「今日ね……遠距離恋愛とか、自信なくなってきた」
「僕はそもそもありませんね」
「じゃあ、別れますか?」

「嫌です」


 即答だ。
 嬉しかった、直斗ならば『貴方が望むなら』程度の事を言いそうだったから。
 少しずつ、変わってくれているのか。
 我儘だって構わない。
 自分だってこれから、真っ直ぐにぶつけようと思う。そうでないと、一緒に居られないのに根拠の無い不安ばかり募らせて、いつか壊れてしまうとも限らない。
 くだらない事で彼女を失って後悔する事だけは嫌だ。
 頬を挟んだ手のお陰で少し頭が冷えてきた。ついでに、直斗の指も少し血色が戻って来ている。
 けれど、これ以上外に居ては風邪をひく。
 ゆっくりと傾いた太陽はもう半ば近くまで山に隠れてしまっていて、そろそろナイタ―営業のライトが点灯する。
 夜まで遊ぶかどうかはともかく、夕飯には一度帰ってくると行っていたメンバーがもうすぐ帰ってくるだろう。

「中、入ろうか?それとも、皆にこれ見せ付ける?話が早くていいかも」
「恥ずかしいから、嫌です!……どう話切り出すかは、お任せしますからね」
「ストレートに直球一本でいきます」
「ちょっと逃げたくなってきました」
「だめ」
「……はい」

 先に立ち上がった直斗に手を引かれる様にして、自分も腰を上げた。
 足元で、ペルソナがにこにこと穏やかに笑っている。
 彼女の中の自分のイメージは、こうなのだろうか?
 ずっとそうであればいいとは思うけれど、そうもいかない。
 だから……。

「来年の今頃は誰に何も言われなくても、ちゃんと大っぴらに恋人なので俺と二人でスキー旅行ね?」
「先輩は受験真っ最中ですよ」
「YESかNOかでお願いします」
「……な、夏の……海なら」
「それはそれ」
「え、ええ?!」

 勉強の邪魔にならない程度で。
 片手に、二人の手袋を握ってもう片方の手には恋人の細い指を絡めて歩き出す。

「頑張り、ましょうね?」
「うん」

 絶対なんかない。
 こんなに自分たちはまだ脆くて、不安定で、そしてまだ子供。
 持っているのは、一つだけ。
 苦しい時少し縋るための未来の約束だけ。
 手の中の可能性を二人で握りしめて歩いて行くしかないのだから。


「探偵事務所、二人でやるんだよね?」
「勿論です」


 温かい橙から夜の色へと染まり始めた雪の上で、フロストが首を傾げて笑っていた―――。











衣装ネタで!とリクをいただいたもので。
しかし………衣装ネタ踏みにじった挙句一心不乱にフロスト人形を掘る直斗という、何とも微妙な絵。
なんか、完二……ごめん。