何かが始まる予感がしている







 ―――パリンッ……




 カードが光の中で溶けて、玻璃が砕ける様な音がする。
 自分の弱い心に打勝つ暗示なのだとクマが分析していたが、彼にはその脆く儚く砕ける音がいつも胸に刺さる。

 青い部屋。

 何もかもを見透かしたように、常にアルカイックスマイルを崩す事が無い部屋の住人に退室の旨を告げると意識は急速に青に侵食された世界から現実へと引き戻された。




「よーし、今日はとりあえず解散!お疲れ」
「お疲れさまー。あーおなかすいた!雪子なんか食べてく?」
「んー、そうだね。フードコートでたこ焼きくらいなら」
「あーナニナニ、先輩たち寄り道?りせもまーぜて」
「クマもまーぜてクマ!」
「じゃあ、俺も行くかな。てか、結局このメンマバーでたむろすんじゃねーか、完二もくんだろ?」
「勿論奢りっすよね?先輩」
「あーもう、お前ら!俺はバイク買うために金貯めてるっつてんだろ!こうなったら……女子はあてになんねーし、悠お前も財布要員で招集!ちびっこ探偵、勿論お前も参加な、。そこでぼんやりしてるリーダー逃がさず連れて来い!」
「だから、ちびって言わないでください!」


 目に痛い黄色がやめに目立つテレビのスタジオを思わせる広場の片隅。
 耳に届いたのは、仲間たちの声。

 鳴上悠は何気ない何時もの仲間たちのやり取りに、意識が戻ってきた事を知る……。
 殆んど習慣になってしまって、無意識にちらりと腕時計へと視線を遣る。
 ベルベットルームは、自分たちの世界ともテレビの世界とも時間軸が違うのか、どれだけの時間をあの青い部屋で過ごそうとも、戻ってくれば瞬き一つの間の事。
 おそらくは肉体では無く精神だけが飛んでいる。
 目の前で、ほのかに青い燐光を放つ不思議な扉は、他の誰の目にも映っていない。
 それとなく振ってみたが、感知能力に長けるりせですら気付かない。




 言えないな……と思う。


 自分が話す事ならば、彼らは信じてくれるだろう。
 けれど、こんな常識を逸した世界で、命懸けで連続殺人犯を追い続けているのに、これ以上不可視の不安を与える必要はないと思うのだ。
 こんな言い方をすれば皆怒るだろうが、これは自分の問題だ。
 ベルベットルームの住人、彼らに此方への害意はないのだ、むしろそう言った意味では何の関心も無いのだともいえる。

 彼らが欲するのは、あの日為された契約の履行。

 過程と結果。



『ワイルドの力』

 イゴールと名乗った老人はそう言った。
 彼らは、悠だけが持つ特殊な能力の手助けとなる様に、その行き着く先を見届ける為に、そこに存在している。
 それが、契約。
 今の自分にとっては無くてはならないものである、何よりも力が必要だからだ。
 護るためにも、闘うためにも、真実へと辿りつくためにも、力が必要だ―――。
 この契約が何を齎すのかは知らない。
 彼らが言う見届ける事に、どれだけのものを見出しているのか悠には分からない。それは彼らの価値観であって、自分の知るところでは無いと割り切っている。
 ただ、契約というなの誠実さで彼らはそこに在り、そして今日も手を貸してくれているその事実があるそれだけでいい―――。

 彼らがその職務以上の何かを求める事も、手を出してくる事も無いのは、何故か素直に理解できた。
 そして
 自分が、これを違えた時の代償も………言われずとも解っている

 これは、自ら選びとるものであって他の誰にも委ねることの無い道。


 この上もない協力者である事は、間違いもない。
 そう、秘密の協力者。



 適当な理由を探しても、自分が抱える問題だと尤もらしく言ってみてもたぶん、それが仲間に存在を伝える事が出来ない最大の理由。
 老人は、秘術を用いてペルソナを生み出す。
 複数所有するペルソナを縒り合わせ、新たな武器を、盾を授けてくれる。それは己の心である筈のものなのに、老人のしわがれた細い指で、新たに生まれ落ちてくる。
 それは時に強大な力を持って。

 そう、絆が深ければ深い程に


 アルカナを担う人々の心に触れれば、それはペルソナの力に反映され輝くカードとなって目の前に具現する。
 日に日に、皆が寄せてくれる信頼が形となって、目に見えて強くなってゆくのは面映い。
 けれどもそれと同時に後ろめたさが、拭えない。
 無限の可能性と言えば聞こえはいいが、「からっぽ」と称された己を磨いてきたのは、間違いなく自らを取り巻く優しい人たち。

 ペルソナは心を写す鏡


 ならば、剣を与え、盾を与え、そしてそれを使いこなす心の強さをも与えてくれたのは彼らだ。
 そうであるからこそ、あの世界から切り離された青い部屋で上位ペルソナを作成すればするほど、誇らしさと遣る瀬無さが交差する。


 利用している。


 そんな考えが拭えない。
 勿論、純然たる事実である。
 どれほど現実離れし、そして限定的であろうとも彼らの好意を、信頼を利用し、そして今日も力を得る。




「先輩、どうかしましたか?」

 いつの間にか、仲間たちは一人、また一人とクマが召喚したテレビの中に消えて、元の世界へと帰ってゆく。
 気が付けば、小柄な後輩の気遣わしげな瞳があった。


「うん。探偵王子も馬鹿軍団に随分と馴染んだなって」
「………難しい顔してると思ったら、そんな事考えてたんですか!?」

 彼女はぽかんとした後、紺青の瞳をキャスケットの下に隠して拗ねた声を返す。
 咄嗟にでもこの洞察力に優れた後輩、白鐘直斗を相手に適当な言い訳を通せる自分に呆れ ながら足元を見れば、キツネが大きな尻尾を揺らしてこちらを見つめてくる。
 動物の敏さなのか、それとも彼女がとびきり賢いからなのかは解らなかったが、ただこれだけは確かなようだ。
 此方は、そう甘くはないらしい。
 誤魔化すつもりはないのだが、言葉にする覚悟は持ち合せがない。
 屈んで、一撫でした後抱き上げると、仕方がないというような仕草でふわふわの尻尾を振った。


「ほら、帰ろう、直斗」

 キツネを抱えている方とは逆の手で背を促すも、彼女の脚は動かない。
何か言いたげに、藍よりも夜に溶ける澄んだ深い色の瞳を揺らしている。

 大人の、男性社会に早くから首を突っ込んで肩肘張って生きてきた割に、一度心を許してくれれば素直で、有り余る知識に見合わないほど世事に疎い所のある後輩の感情を読むのは、今となってはそう難しい事では無い。

「大丈夫、心配しなくていいよ?本当に何でもないから」
「子供扱いしないでください」

 頭をぽんぽんとやれば、いつもと同じ応えが返ってきた。
 大人びた言動をするくせに、分かりやすく照れたり歳相応の反応もしてくれるものだから、皆に良いように弄られているけれど、当初の辛辣さはすっかり成りを潜めて、居心地は悪くないと感じてくれているらしい事に、ほっとしているのも勿論本当。


「……わかりました。そう仰るなら信じます」

 引き下げた帽子のつばを元に戻して、随分を穏やかな瞳で告げられた言葉が真摯で、ただただやわらかく笑った。
 あれほど刺々しかった探偵王子は、ラボから救出した後、心からの感謝、そして敬意を示す事に一切の躊躇いを見せなかった。


 まだ拙くとも、光が差した彼女の紺青の奥に、また一つ自分は何かの片鱗を感じている。



 後ろめたいのか、喜ばしいのか、げんきんだなと思うが所詮は普通の高校生なのだ。



「先輩………出逢えたのが、皆さんで……先輩で、よかったと、心からそう思ってます」
「うん、ありがとう」

 不意に、彼女の口から言葉が漏れた。
 少なからず驚いた。
 その言葉は、自分こそが伝えたいのに。
 勘の良い後輩の切り返しをかわす自信はなくて……そうしたくなくて、本当に伝えたい言葉だけを素直な心で返す。


「さて、皆さん待ってらっしゃいますよ行きましょう?」
「ああ」

 暫し躊躇った後、小さく袖を掴んだ手が可愛いなと思った。
 彼女もまたこれから、また自分にたくさんの事を教えてくれるのだろう、からっぽなものを、満たしてくれるのだろう。



 だからこそ、応えたい。
 だからこそ、契約を履行して見せ付けたい。





 だって、今、こんなに満たされているから―――――。






運命コミュ発生前の一コマ。