「先輩は恋をした事はありますか?」
「―――ブッ……」
「ちょっと!?大丈夫ですか」
ふと、会話が途切れたその瞬間に呟いてみた。
彼と交わす言葉は楽しい。
いつも、どんな切り返しが来るだろうとどきどきする。
偏った自分の知識とは違って、学術からエンターテイメントまで幅広くカバーしている彼から教わる事も多かった。
そう、別に彼と居る空間で無言が苦痛だった事は無い。
けれど彼がまた何か互いに夢中になりそうな、他愛ない話題を自然に持ちだすまでに、珍しく思い付きで。
口を押さえて、盛大にむせた上級生から、口を付けていたペットボトルを受け取って倒れないようにコンクリートに置くと、せき込む背をポンポンと叩いてみた。
そこまで意表を突いた話題だったか、それとも唐突過ぎたか……
否、自分が触れていい領域では無かったかもしれない。
そんなプライベートな事にまで踏み込むなんて、無神経が過ぎた。
「すみません、不快な話題だったら謝ります。別に詮索したいとかそういう事では無くて」
「……いや、いい、よ。ごめん、直斗からそんな質問来ると思って、無くてびっくりしただけだから」
大きく深呼吸した彼が、謝ることでは無いのだと。
まだ気道に入ったお茶が抜けきっていないのだろう、詰まりながらも手を振って謝罪を遮られる。
言葉の通り、気分を害した様でもない事に、ホッとして横に置きっぱなしだったペットボトルのお茶を彼の手に返した。
昼休みの屋上。
ここには、自分たち以外に誰の気配も無い。
本格的な冬の到来も近く、日増しに冷たくなる大気。
そんな中好きこのんで、外で昼食を取ろうという物好きは、そうそう居ない……と言う事らしい。
彼らとて、おかしな罰ゲームの真っ最中だとかそういう訳ではなくて、二人でゆっくりと話せる時間が、昼休み以外に見つけられなかったからだ。
幸い空気は冷たいものの日差しが柔らかい為、膝掛け代わりのマフラー一枚で日中はそれほど寒さを感じずにいられた。
現在、直斗は怪盗Xだとかいう愉快犯じみた相手に、叩きつけられた挑戦状を受けて立った形になっている。
偶然からだが、全く無関係の上級生を巻き込んでしまっている事が少なからず心苦しい。
『乗りかかった船だから。最後まで付き合うよ。俺も気になるしね?』
そう微笑みを向けられてしまえば、助力を頑なに固辞する事も出来なかった。
実際彼は頭がきれる。
詰め込んだ知識だけならば、直斗とて遅れを取るものではないけれど、発想が直斗よりも遥かに柔軟で目を見張った。
「助手だと思ってこき使ってくれたらいいんだよ。もともとそういう役どころの方が向いてるし」
その言葉には間違いはなく、否助手と言うか相棒として彼は自分に欠けた部分を補ってくれていた。
これまで連携だとか、チームワークだとかそんな言葉とは無縁で事件に関わってきたから初めての経験。
申し訳無さはあっても、戸惑いも、遣り辛さも感じない。
自然に入れられるフォローも、的確な助言も、心遣いも素直に受け取った。
独りで無茶をやったという過去がある。
自覚もあるだけに、危なっかしくて放っておけないのだと思われているのだろうかと、彼に歯がゆさや苛立ちを与えているのではないのかと、考え始めたらきりが無いけれど、伺う様な眼差しを受ければ返ってくる微笑みにすっかり安堵してしまう。
自分の仕事、自分のテリトリーに他人を入れているというのに、特捜隊としてテレビに潜っている時と同様に感じるのは不快感などでは無くて、頼もしさ、心強さを感じているなんて、これは少し反省した方がいいのかもしれないけれど。
他人に聞かれてまずいとまでは言わないが、彼は何かと注目を惹きやすい人だったし、自分もある程度話題に上っているのは自覚しているため、人が多い所では落ち着かない。
詮索されたい話題でもないので、二入りきりだというのなら都合がいい。
テレビの中の命の遣り取りをする様な事態にはならない。
この事件の動機、意図はともかく自分はもうある事に気付いている――。
おそらくは彼も薄々何か感じている。
けれど、全て終わるまで。
それまでは、もう少し見守っていて欲しいと思う。
「それで、俺はもしかしてこれから恋愛相談されるのかな?」
「恋愛……まあ、そうと言えなくもないかもしれません」
「いいよ、じっくり聞こうか」
どうしたというのだろう。
徐に足を組んで、そうして頤に手を添える仕草。
向き合って、真っ直ぐ見据えてくる表情は何時も通りやわらかい。
ただ、何故だかいつもと違うと思ってしまう……。
嗚呼。そう……向けられた視線が、酷く居たたまれ無くさせた。
「……正直に言うと、先ほどの問いに、意味がある訳ではないんです。その点も、先輩に対して失礼でしたね」
「別に、今直斗とはディベートしてるわけでも明確な結果を残さなくちゃならないディスカッションしてるとも思って無いからそれは構わないよ?」
女の子たち、雪子や千枝やりせが普通に感覚で取りとめも無い話をするように。
そういう打ち解けたものは歓迎する、と笑みを深くする。
思った事を、そのまま伝えてくれるのは嬉しい――と。
先を促す仕草に、一つ頷く。
「以前、先輩には見られていましたよね?僕の靴箱に入っていた、手紙」
「ラブレターだったな」
「そう、です。それに、僕の事じゃないにせよ、教室に居るとそういう話題いろいろ聞こえても来てしまいますし」
「女の子は、そういうの好きだし。この年頃は、まあ……無い方がおかしい、とまでは言わないけど」
「はい」
毎日、休み時間や更衣室その他女子が集まれば、テレビ、雑誌、服や靴、化粧品そして自然と流れでそういう話になる。目の前の出来過ぎのきらいがある上級生や、同じく良くも悪くも目立つ彼の親友が話題に上がる事は珍しくなかったし、雪子やりせに、あからさまな好意を隠さない男子生徒も多い。
千枝には、密かに憧れるというパタン―ンが多いらしい。
自分にも未だに……女とばれた時からは、両性から手紙が届く。
直接呼び出しを受けるに居たって、時折雪子やりせが呼び出されて席を外してゆく理由も察した。
少し意識を変えるだけで、驚くほどそういう情報は入ってきたのだ。
随分と際どいものや顔を顰めるような内容も、無いわけではないがなるほど、女子とはこういうものかと思っただけで、以外にも考えていたよりは不快感を感じなかった。
言語中枢の発達した女性は言葉を発する事によって思考を整理する、と何処かで読んだことがある。
なるほど、無駄で非生産的だと思える事でも女性主観ならそうではないのだ。
かしましいお喋りにも生物的なプロセスがあるのだと考えると、少し興味ももてた。
それも、最近少しずつ交友関係を広めていっているからこそ気付いたのだけれど。
「僕は、これまで切り捨てていたものを、いろいろと拾って行かなくちゃいけないんだと思うんです」
「………」
「背伸びばかりしていましたから、周りの子たちが何をして何を考えていたかなんて知りもしない、知ろうとも思わなかった」
「それで、人間観察でもはじめたの?」
「はい」
「……そう」
「そんな呆れることでしょうか?」
盛大に吐き出された溜息が、少々ショックだった。
何故だろう。
「それで、その質問なんだ?」
「はい」
「直斗がこれ以上にないくらい客観的に見れてるから、主観的な意見が欲しいってことでいいの?」
こくりと、素直に頷くと初めて視線が外された。
何やら考え込んだかと思うと、またふっと笑った。
何処となく、寂しげに見えたのは気のせいだろうか――――。
「しんどいよ」
どうしてだろう、打たれた様な気持ちになったのは。
聴いてはいけない。
瞬間そう思ったのは、何故?
数少ない俺のちょっとした経験と、自分観察の結果と周りの意見といろいろまぜてみた一言だけど、どう?
おどけた様子で続いた言葉が、どこにも留まらずに通過してゆく。
「何とか近くに居たくていろいろと画策したり、気に留めて欲しくて何かと……物より食べ物の方が多いかな?貢いだり、良い先輩、頼りになる上級生上手くポジション作るとのには成功したのはいいけど、それはそれでちょっと困ったことでね……」
どことなく自嘲の笑みが見えて、こんな顔をさせてしまった事に自責の念がこみ上げる。
何を押し殺しているのか、務めて穏やかに発せられる声から意識を反らせない。
これは、自分が触れて良いことだろうか?
「理由作っては構いに行くけど、どうしても一歩踏み出せない状況だと結構地獄だよ。一つ、居場所が出来てしまうと甘えるし、居心地よすぎると臆病にもなる。何にせよどうにも優しいだけの気持ちで居られなくなるし、同じ所に突き落して、引きずり込んで……同じ想いをしてくれたら良いとも思うかな」
「………それは…」
「周りにまで気使われるとこまで追い込まれると、もう後戻りも出来ないで澱んでくるよね」
「………よね、といわれ、ても、ですね」
「うん。こんな感じで、どう?」
「ど、どう…?」
「やっぱり、重いかなーって」
「そんな事は、思いません!そこまで貴方に想われる人が羨ましいですから」
「ほんとに?」
「はい」
「ホントに、今言ってる言葉理解してる?」
「はい?………あー…いえ、その、すいません、実はちょっと想定外…いや、想定なんて無かったんですが、すいません整理できてなくてあんまり……」
あんまり、今口にしてる事を自分でも理解してません!
「――――っッ」
「そこは、笑う所でない事くらいは解ってますよ」
「ごめん、ほんと、直斗は可愛いね」
「――っちょっと!」
「うん、いや。いいよいいよ、というか笑って無いとやってられない。俺の恋愛相談みたいになってきてるし」
「…………僕でよければ、話くらいは……。助言なんかは、求めようなんて思いもされないでしょうけど」
「どうだろう?それは、直斗の用事が終わった後にしようか。未来の白鐘探偵事務所所長への挑戦状第一」
「怪盗X優先ですか?僕はそんな狭量な上司のつもりは……あ」
ひとしきり笑って満足したのか、何か一人納得した上級生はいそいそと広げていた弁当箱と、飲み物を片付け始めた。
ホットで買ったはずのお茶は、すっかり冷えてしまっているはずだ。
片付けるためとはいえ、一気に胃に流し入れてしまうのは外気で冷えた身体には良くない気がしたが止める隙も無い。
「ほら、そろそろ教室戻らないとチャイム鳴るよ?一年の教室、遠いし」
指示された時間は、もう殆んど猶予が無くなっていた。
手にしていた自分のペットボトルも、捨てて置くからと、いつの間にか彼の手の中に。
次の教科は科学で、実験の筈だった。教室に戻って教科書類を持ってから、移動せねばならないから、ギリギリだ。
「遅れるの良くないよ、先行っていいから」
「それじゃあ、すいません!失礼します、今日も御馳走様でした。お弁当、美味しかったです」
「お粗末さま。喜んでくれたならうれしいよ」
礼を述べると、いつもの様に手を振って見送られた。
マフラーだけを握り絞めて、階段を駆け降りる。
はぐらかされた……のだろう。
推定ではなくて、これはもう確信だ。
正直助かったとも思う。
これ以上踏み込む勇気もなければ、先の会話の後で平静でいる自信もなかった。自分は、まだ幼いのだ、そう結論付けるしかない。
何か意図があった訳ではない。ただの好奇心だ。
けれど、りせや雪子や千枝に聴けない話でも無かった筈なのに、どうして?
先ほど自分は、この空気が変わってしまうかもしれないと何処か感じていた。
それなのに、それなのに、彼に問うた?
そして、彼は応えてくれた。
それだけなのに、何か引っかかるものを感じている。
たぶん先ほど振り返り様視界を過った見送る彼の顔が、穏やか過ぎて、やわらかすぎて……けれどそれだけでは無い、悲哀か、苦渋か……自分には判別のできない何かも見つけてしまいそうになったから……。
ただ、驚いた。それだけだ。
『恋をしたことはあるか』
返った答えは、期待よりもはるかに誠実だった。
ただ、思ってもみなかったのだ。
考えたこともなかった。
いつも飄々としている彼の中に、そんなにも秘めた情熱があるなどと。
間違いなく今の彼の中に燻ぶる想い。
あいまいな言葉だって選べたはずだ、そういう言い回しを、忌避して彼はあえて激しい言葉を使ってきた。
メンバーの誰からも信頼され、誰に対しても同じくらい心を傾けている人。
常に平等であったはず……そうと思っていた彼が、たった一人にそんな感情を抱えていたなんて。
驚いただけ。
ただ、それだけ。
「―――聞かなければよかった」
片手に持ったマフラーを握る力が、強くなった。
口走った言葉にハッとする―――。
きかなければよかった?
どうして?
ねえ、どうして、 だろうね?
あの日、うっかりとへし折ってしまった恋人フラグ……気付いた時にはもう遅く分岐セーブデータは、無い―――
絶望の中 彼は………私は
もう、妄想するしかないじゃないですか!!!(ノ∀`)アチャー
いえ、友情ルート好きです!想像力をかきたてられて!!
という話でした。