箱庭ユーフォリア







「お待たせ。はい」
「ありがとうございます」

 差し出されたココアの缶を、両手で受け取る。
 手袋越しにも熱いほどの温度を伝えてきて、ほっと息を吐いた。
 思うよりも身体は冷え切っているのだ。

「すいません……こんな所に突き合わせてしまって」
「どうして謝るの?俺は直斗と一緒なら何処だってかまわないよ」

 例えば、雪山で遭難したって二人なら乗り越えられると思うんだよね?
 おどけた調子で返されると、曖昧な笑みを返すしかなくなる。

 一緒に居たかった。
 ただそれだけだ。
 寒いのは、好きじゃない。
 けれど、この冬が終わって春が来れば彼は隣からいなくなってしまう。

 いや、違う。

 別離では無い。手度届かないところ、居なくなったりなどはしない。
 けれど、こんな風に毎日当たり前のように顔を合わせる事は無くなってしまう。
 未だ被扶養者の身の上では、その違いはとても大きい。
 会いたい時には、すぐに会いに行く……なんて、言えない。
 声だけでも……とも、確約が出来ない。
 不安に押し潰されそうで、喪失の恐怖に深夜に喘ぐ事もある――。
 一緒に居たかった。
 それこそ、彼がこの場所にいる時間全てを欲するくらいに。
 でも、それは叶えられないことは充分に分かっていた。

 何処でもいい――。

 彼はそう言ったけれど。
 自分は、それでは嫌だったのだ。
 静かなところ、二人以外誰も居ない所に消えてしまいたい。
 ふと過った言葉に自嘲して。

 嗚呼、そうだ、と思い付いた……。


 絶え間なく、潮騒が聞こえてくる。
 風だけでも凌げればと逃げ込んだがのは、古く随分と傷んだ小さな小屋。
 小屋と言う程雨風が凌げる風体では無く、錆の浮いた屋根と二人で腰掛ければ悲鳴の様な軋んだ音を立てる小さな海辺のバス停。
 時刻表をチェックしたが、この季節は酷く本数が少なく腕時計が指し示す時間と照らし合わればまだ随分と待たなければならない。

 冬の海は想像よりも波が荒く、頬をぶつ風の冷たさに目を細めると、流れてゆく雲の速度が思いがけず早い事に気づく。
 何気なさを装って、彼は直斗の右隣に腰かけた。
 自然に、風上に腰かけ自ら風避けと成ってくれていると察する事は簡単だった。
 自分とそう変わらない年齢のくせに、こんな所作を何気なくこなすから不安になる。
 こういう事が出来る男性は総じてもてるだろう。

「寒くない?」
「寒くなかったら、明日もう病欠ですね」
「違いないね」

 受け取った缶のプルトップを空ける為に、手袋を片方外して膝に置くと伸びてきた手がまた缶を奪っていく。
 アルミの擦れる軽い音がして、またすぐに差し出された。小さな飲み口から、甘い香りと白い湯気が上がっている。
 脳を刺激する甘い香り。
 自分が思うよりも疲れていたのかもしれない。
 けれど、それよりも意外な事に気付いた。
 直斗と同じように、缶を空ける為に手袋を外した片手をじっと見つめる。

「先輩、左利きだったんですか?」
「ううん、どちらも使える。別に無理に矯正はされなかったけど、日本じゃ右使える方が暮らしやすいからね」
「そうなんですか……あの」
「ん?」

 受け取ろうと、素手の右手を差し出すとスッと差し出した手を缶を持ったまま頭上へとやる。
 直斗が手を伸ばせば、より遠く。

「イジメ?」
「いやいや。素手だと熱いよ」
「大丈夫です!」

 更に追いかけると、何に肩を落としたのかガッカリとした様子を見せて渋々ココアを漸く明け渡す。

「……そんな恨めしい目で見ないでください、ココアが良いんですか?それなら、そちらの珈琲と交換しても………」
「甘いものは、次貰うからいいの……彼女とね、手繋ぎたいと思っただけなんだけど、そんなにイヤ?」
「は?」

 両の手え包み込んだ缶、その上から包み込むように素手のままの左手が重ねられた。
 ハッとして見上げると、何やら頬が赤い。
 そう見える。

 嗚呼、なんだ………


 女の子に対して当然の様に紳士の振る舞いを見せるから、特別なのは自分だけでは無いのだとずっと思っていた。
 けれど、案外そうではないのかもしれないと初めて気付いた。

 ふふっ………

「笑わないでくれる?」

 拗ねた口調は、これはたぶん歳相応なのだろう。
 缶を、片手に持ち代えると何も言わずに指が絡む。温まった掌で、ギュッと握り返した。
 そっと伺えば、口を尖らせて斜め向うを見遣る素振りを見せ付けられて、今度こそ声を出して笑った。

「ねえ、先輩。雪ですよ」
「バスのダイヤ、また遅れるかもね」
「それでも、良いです」

 眼下に広がった、灰色の海に同じ色をした空からはらはらと儚いものが舞い降りている。
 きっと、この光景はずっと心の奥底で大切に温めてゆく。
 もう暫くこうしていられるなら、風邪をひいたって明日病欠する事になっても構わない。
 彼が寝込んだら自分が、自分が寝込んだら彼が、きっと看病するのだろう。
 繋いだ手のぬくもりが、いつの間にか二人の体温に解けた。
 擦り寄って、ことんと腕に凭れかかると彼は黙って髪に頬を寄せる。



 先ほどまで胸を締め付けられそうな痛みを持っていた現実が、少しだけ柔らかく溶けた。



「来年は、海。海水浴連れて来てくださいね」
「二人きりなら、応じます」








ツイッターで『寂れたバス停で二人っていうシチュ萌えますねー』とある方が仰っていて
書いてしまったものです。
差し上げたSSなのですがどうぞUPしてくださいと言っていただきました。
高校生ぽくて、かわいいと思います。